Monday, February 27, 2012

『ピュリツァー賞 受賞写真 全記録』

ハル・ビュエル 『ピュリツァー賞 受賞写真 全記録』

実は、横浜に引っ越して最初に買った本。
ピュリツァー賞を受賞した歴代の報道写真が網羅されている。

昔から写真に対する興味があった訳ではないのだけれど、数年前にTV東京『美の巨人たち』でアンリ・カルティエ・ブレッソンの写真を見て以来、写真がすごく好きになった。それからは、ブレッソンの写真集は勿論のこと、他にも幾つかの写真集を買うようになって。

そんな訳で、本作。
報道写真なので、やはり重いです。ピュリツァー賞を取るような写真というのは、社会の断層や非業なる現実、政治の闇、あるいは人間の暗部といったものを切り取ったようなもので、正直に言って正視に堪えないシビアな写真も多い。
それが現実だと、目を逸らすなよと言われればその通りなのだけれど、報道写真というものの難しさをどうしても感じてしまう。ピュリツァー賞を受賞した報道写真家達は、ジャーナリストとして素晴らしい仕事をしたのだと思うけれど・・・。
『プロヴォーク』の写真家達は、「アレ・ブレ・ボケ」といったのだけれど、個人的には、特に近年の受賞作ほど、あまりにクリアすぎるような気がしないでもない。写真は時間を切り取るものだけれど、あまりにも切り取られすぎている感じがするんだよね。止まり過ぎているような。こういう写真が撮られた時に、ファインダーの前にあった現実は、もっとアレていて、ブレていたんじゃないかというのが、個人的な想像だ。
まあ、ド素人の想像だけどね。

『フラジャイルな闘い 日本の行方(連塾 方法日本)』

 松岡正剛著『フラジャイルな闘い 日本の行方 (連塾 方法日本)』

ようやく読了。ここ1週間近く格闘していた。
いやもう物凄い本です。松岡正剛と佐藤優は、現代日本を代表する知の巨人だね。
本書は、その松岡正剛が講じた「連塾」の第7講と第8講(最終回)。
「日本という方法(方法日本)」という言葉で、日本というものの光と影、表と裏、歴史と今、オリジナリティと普遍性、そういったものを松岡正剛流に紐解いていくのだけれど、その発散のレベルがあまりに凄まじくて、前半(第7講)を読むだけでノックダウンされそうになる。
感想なんて迂闊に書けない、といった類の1冊です。
本書の頁を手繰ってしまうと、読みたい本、聴きたい曲、観たいDVDといったものが相当に増えてしまうのは、もう間違いない。とりあえず俺は、小林正樹によるドキュメンタリー映画『東京裁判』のDVDと、ジャズピアニスト秋吉敏子さんの『孤軍』を買ってしまった。

ちなみに、松岡正剛さんの著作を読んだことがなければ、『17歳のための世界と日本の見方』(春秋社)をまず読んでみるのがお勧めです。これはもう完全に面白いので。

Tuesday, February 21, 2012

紙を折る

大切な会議がある。
その難しい舵取りを、今のチームにおけるリーダーの先輩達が担おうとしている。

俺は、陪席。発言権はない。
でも仮に権利があったとして、場を動かす言葉を発することができるだろうかと自分の胸に問いかけると、率直に言えば、今、それだけの能力はきっとない。

25人が参加する明日のために、1人で資料を刷っていく。
A3とA4が順不同に混在しているのを、1つずつ並べて、A3の用紙を折りたたみ、クリップで順番に留めていく。
紙を折っていると、どこか気持ちが整理されていくような感じもする。晩ご飯で使った食器を洗っている時の感覚に近いのかもしれない。ちょっとずつ何かが片付いて、正しいところに収まっていくような、そんな感じだ。とにかく、ほんの小さなことが資料の印象を壊してしまわないように、1セットずつ、いつもより心持ち丁寧に折っていく。なるべく角が揃うように。
あとは、ただ明日を待つばかり。

それが、今の自分の実力です。

明日の展開は読み切れないけれど、この資料に託されたものがきちんと伝わってくれれば、それこそが最高の成果だと思う。
そして、きっとそうなる。責任者として最前線に立たれる先輩達の本気と誠意をもってすれば、間違いなく思いは届くはずだ。そして、そういうリーダーがこのチームにはいるのだから、今の状況が多少苦しかったとしても、本当に良いチームだということに変わりはない。そう、恵まれている。

いつか恩返しをしないといけない。
いつか、なんて悠長なことではないのかもしれないけれど。

シナリオこそ書かなければ。
紙に図表を書くだけではなくて。
時には正論から折れる決断力を。
でもそれは、明日の紙を折った時のように繊細に。
そして、表現されない部分への想像力を。
目先のことだけに視野を奪われるのではなくて。

なんて、小さな決意表明です。

Friday, January 27, 2012

『「上から目線」の時代』

冷泉彰彦著『「上から目線」の時代』(講談社現代新書)

昨日読了。
冷泉彰彦さんの記述はやや冗長な感じもして、社会批評的な著作が苦手な人には多少読みづらいかもしれない。メールマガジン『JMM』の記事は基本的に面白く、毎週読んでいるけれど、新書となると、なかなかこってりした感じもあるかなと。

前著『「関係の空気」 「場の空気」』の続編に近い位置づけの1冊。
数年前、KYという言葉が流行した頃は「空気の時代」だった。空気がコミュニケーションを支配する時代。小泉総理(当時)が、改革の「空気」で席巻した時代。
しかし、昨今では「空気」が消滅しかけている。空気が醸成されるのは、ある種の共通感覚が成立しているからだけれど、今は空気だけで事が解決できないという「困難の感覚」が蔓延してきている。そうなると、従来は「空気」の存在を前提としていたコミュニケーションそのものが困難を伴うようになり、より慎重にコミュニケーションを取らなければ、結果として衝突を引き起こしてしまう。それを回避するための1つの手段が「目線」のコントロール(目線を合わせることによる「対等な関係性」の印象づけ)であり、そんな時代だからこそ、「上から目線」というものが敬遠されるのだ、というのが著者の見立てだ。
うん、やっぱりちょっと冗長かなあ。

まあでも、「KY」とか「空気」とか、「上から目線」とか、ほんと息苦しいなあと思う。
「空気」に支配されるのも正直勘弁だけれど、確かに「上から目線」という言葉の重苦しさもなかなかのものがある。著者も言うように、これは「日本語」という言語の特性によるところも大きいのかもしれない。(外国語に明るくないので、正確なところは分からないけど。)

日常生活においても、仕事においても「目線」はとても重要で、(自分がきちんと出来ているかどうかは別として)目線への配慮は避けられないことなのだけれど、本当は、素直に話していることの中身でコミュニケーションできれば、その方が個人的にはいいのになあ、と思うことはあります。あなたはあなたで、貴殿でも貴職でもなく、私は私で、小生でも小職でもなく、ただ"You and I"であってくれればいいのに、と。
(ちなみに俺は、この4つの言葉は使わないようにしています。)

Friday, January 13, 2012

非ストラクチャーは常に。

『ラグビークリニック』 2011年12月号(ベースボール・マガジン社)
遅くなってしまったけれど、本日ようやくチェック完了。
現役としてラグビーに携わっている人間ならば、プレーヤー/コーチを問わず、間違いなく買った方がいい雑誌だと思います。純粋に面白いしね。

「アンストラクチャー」というのは、当然ながら「ストラクチャー」の対概念として扱われているのだけれど、この境界線は曖昧で、ややその本質を掴みづらいところはある。セットプレーを起点としてシークエンシャルに展開されたプレーは、その全体を「ストラクチャー」として扱ってよいものなのか、俺にはよく分からない。事前に周到に準備されたプレーを、想定した通りの間合いとスピードで仕掛けて、そして相手がある程度想定通りの反応を見せる、といった一連をもって「ストラクチャー」とするならば、俺がコーチとして関わってきた学生リーグのレベルで考えると、「ストラクチャー」と言い切れるようなフェーズは殆どないのかもしれない。
もしくは、あくまでその「起点」にフォーカスした概念なのだろうか。相手のミスやターンオーバー、あるいはキックカウンターに代表されるような。でも、計算通りのキックを蹴り込んで、それを受けた相手バックスリーがカウンターを仕掛けてくれば、それは「アンストラクチャー」とはちょっと違うような気もする。この場合は、「アンストラクチャーを、ストラクチャー化する戦略」とでも語られるのだろうか。

重要なのは、概念じゃないと思うんだよね。
原則としての合理性を徹底的に追求しながら、その一方で常に起こり得る非合理、あるいは逸脱を受け入れて、それにどう対処するか。それは、「アンストラクチャー」という言葉さえなかった頃から、何ら変わっていないはずなんだ。
そしてそれゆえに、本書を読む意味は、ラグビーの時流・変遷を問わず、普遍的に見出せるはずだと、俺自身は思っています。

Wednesday, January 11, 2012

『弱者の兵法』

野村克也著『弱者の兵法』(アスペクト文庫)

本日読了。
名将、野村克也が綴った勝負の哲学であり、野球という枠に留まらない組織論。
非常に面白く、あっという間に読み切ってしまった。

前中日監督の落合博満が「プロ野球界広しといえど、『野球』を語れるのはノムさんだけだ」と語ったという挿話が出てくるが、確かに落合博満の著書『采配』、『コーチング』を読む限り、この2人には多くの共通点がある。

1つは、徹頭徹尾「勝負師」である、ということ。
2人とも、勝負に対する拘りが生半可ではない。自身の仕事を、「野球」ではなく「勝負(そして、結果としての『勝利』)」と捉えていることが、言葉の端々から強烈に感じられる。本人達の弁はともかくとして、おそらく類稀なる天性の素質を備えていたはずのこの2人は、素質そのものではなくて、傑出したその「活かし方」によって、勝負をモノにした。そのことに対する自負心、あるいは(良い意味での)プライドは非常に明快で、読んでいて気持ちがいい。「つまらないプライド」が醸し出す不快感を全く感じないのは、さほど野球に詳しくない人間が読んでいても、その言葉の背後に「生き様」が垣間見えるからだろう。

もう1つの共通点は、徹頭徹尾「人間」である、ということ。
2人とも、同じ勝負の舞台に立つ仲間に対して、非常に優しい。俺自身はラグビーの経験が長くて、プロ野球の世界は殆ど知らないけれど、それでも、これほどまでに優しい指導者というのは極めて稀だと思う。いや、表面的には厳しく、怖い監督だったのかもしれない。現に、野村克也が監督だった当時のヤクルトの主砲、池山隆寛は「当時の監督は、かなり怖かった」と後々になって語ったそうだ。それでも、著書を読んでいる限り、この2人の指導者に共通する「優しさ」というものを感じずにはいられない。それはきっと、「選手を(あるいは選手の努力を)決して見限らない」という姿勢を貫徹されていることによるものだと思う。
これは、言葉にしてしまうと簡単だけれど、本来とても難しいことだと思っている。

野村克也は本書の中で、「人は無視・賞賛・非難の段階で試される」と語っている。
実力のない人間は、目にも留まらない。
ある程度、見込みが出てくると、自信を与えるために賞賛される。
しかし、賞賛ばかりで勘違いをさせないために、核となる人間は、あえて非難する。

選手への深い愛情がなければ、このプロセスは廻らないだろう。
本当に素晴らしいことだと、俺は思います。

そして、これを裏返せば、プレーヤーの心意気も見えてくるよね。
無視に腐っている暇があるなら、基礎練習を積み重ねて、地力を培わないと。
賞賛に酔っている暇があるなら、その先にきっと待ち構えている壁を意識しないと。
非難に沈んでいる暇があるなら、非難してくれる人間の愛情を意気に感じないと。

まずは自分自身の仕事から。
2012年は、この意識を心に刻み込んで過ごしたいと思います。

Monday, January 09, 2012

大学ラグビー決勝。そしてフラットパスについて。

1日遅くなってしまったけれど、ラグビー大学選手権決勝のことを。
帝京大 15-12 天理大 @国立競技場

素晴らしいゲームだった。
3連覇という偉業を成し遂げた帝京大は見事だった。そして、惜しくも敗れてしまったけれど、天理大の奮闘もやはり見事だった。お互いの持ち味が随所に発揮された非常に見応えのあるゲームだったと思う。

おそらくこのゲームは今後、「天理大の大健闘」という観点で主に語られることになるだろう。
そして、それ自体は間違ってもいないと思う。
ただ個人的には、何よりもまず最初に、帝京大がこの3年間で積み上げてきたものへの賞賛と敬意があって然るべきかなと思っている。3連覇というのがまさに偉業である、というだけではなくて、帝京大の存在が、今後の大学ラグビーにおける"Standard"を一段階上のレベルまで押し上げることになったと感じるからだ。それほどまでに、帝京大のクオリティは充実していたと感じている。

ちょっと話は逸れるが、実は昨晩、録画しておいた高校ラグビーの決勝(東福岡 36-24 東海大仰星)もTV観戦した。大学選手権の決勝を観る前に、こちらを先にチェックしたのだけれど、誤解を恐れずに書いてしまうと、大学決勝の方が圧倒的に面白かった。勿論、高校ラグビーがつまらないと言いたい訳ではなくて、全国の高校ラガーの頂点を決めるゲームは、高校ラガーの生き様が体現されていて非常に見応えのある内容だったのだけれど、ただ、ラグビーそのもののクオリティは、圧倒的に大学ラグビーの決勝が上だった。そしてその違いは、単に高校/大学の差から生じたものではなくて、ひとえに帝京大/天理大の両チームが引き締まったプレーをしていた、ということによるものだと思う。1つひとつのプレーの強さやスキルレベルで、大学が高校を凌駕するのは当然だ。問題は、そこじゃない。レベルを問わず、引き締まった一戦というものはある。今シーズンの大学ラグビー決勝の面白さは、この点にこそ認められるべきかなというのが、俺の感想だ。
特に帝京大は、広範な意味で、ラグビーをタイトなものにした。
この功績と、そのことが醸し出すラグビーの新たな醍醐味が、間違いなくあるはずだ。

帝京大のラグビーが「つまらない」というのは、1つの側面かもしれない。
でも一方で、タイトで引き締まったプレーは極めて見応えがある、というのも事実だ。
個人的には展開志向のチームの方が好きだし、多くのラグビーファンも同様だと思うけれど、そのことが帝京大の価値を毀損するものでは全くない、という点は改めて書いておきたい。

前置きが長くなってしまったけれど、その前提の上で、やはり天理大。
こちらも素晴らしかった。間違いなく、天理大はベストバウトをしたと思います。
惜敗したチームに対して「ベストバウト」は失礼かもしれないけれど、そうとしか表現できない。セットプレーであれほど劣勢に立たされながら、一度ボールを持てば果敢なアタックを仕掛け、帝京大の強固なディフェンスラインを度々ブレイクしてみせたのは、本当に見事だった。
やはり何と言っても、SOとしてチームをリードした立川選手の存在が大きかったと思う。

BKの観点でみると、帝京大と天理大の最大の違いは、SOのパスコースかなと思っている。
帝京大のBKラインは、ボールの軌道がやや深く、多少流れ気味のランニングコースを取ってくる印象だ。FWのボール供給が安定していること、そして個々のランナーにある程度スピードがあることで、このスタイルが成立しているのかなと。SOの森田選手から繰り出されるパスは、全般的にみると、トライラインに対してほぼ45度近く下げた角度で放たれているような印象がある。(ただ、これは森田選手個人の力量云々というよりも、多分に「チームの選択したスタイル」の問題だ。彼自身は、ランニングスキルも高くて、非常に良い選手だと思っている。)
一方の天理大をみると、SOの立川選手は、原則としてボールを下げない。ロング/ショートを問わず、基本的にはフラットな角度にパスを放ってくる印象がある。ここが全く違うポイントだ。特にロングパスの場合、パス自体のスピードがないと、簡単にシャローされてしまう。また、パスコースが読まれてしまうと、往々にしてホスピタルパスになる。つまり、天理大のアタックが上手く機能しているのは、SO立川選手のパス自体が速くて、そして読みづらいということだ。勿論、ハベア、バイフという外国人の両CTBが外に控えているのは大きいけれど、彼らを「ただの駒」にしていないのは、やはり立川選手のスキルによるものだろう。

JSportsの解説で、藤島大さんが「天理大には、大きく言えば『日本ラグビー』の可能性を感じさせるものがあった」といった主旨の発言をされていたけれど、その1つのポイントは、こんなところにあるのかもしれないと、個人的には考えている。
ディフェンス・プレッシャーが極めて速くなっている昨今のラグビーにおいて、簡単にボールを下げるのは自殺行為だ。それでも、ただフラットにボールを運んで、ほぼ真っ直ぐのランニングコースで突進していくのは、フィジカルに劣るジャパンには辛いと思う。テンポとフィジカルだけで切り裂けるほど、日々進化していく国際レベルのディフェンスは簡単ではないかなと。
そこで、理想的には思う訳です。
パスは下げない。でも、相手の出足を許さない。そんなパサーが生まれないかと。

魅力的なフラットパスは、フラットであることだけが醍醐味ではないと思います。

『坂の上の坂』

藤原和博著『坂の上の坂』(ポプラ社)

いい本です。
藤原和博さんの過去の著作を読んでいると、重複感が否めない点もあるけれど、それでもやはりお勧めできる1冊かなと。

昔は、定年まで必死に働いて、坂を上るその視線の先には見上げる雲があった。
雲とはつまり、ロマン。平均寿命も現代の半分程度だった『坂の上の雲』の時代、人は雲を見上げながら死を迎えることができた。
今は、違う。60歳で定年を迎えても、その先に20年、30年という老後が待っている。
そこにあるのは、見上げる雲ではなくて、新たな坂ではないか。
それは上り坂かもしれないし、下り坂かもしれない。
でも坂と向き合っていく準備は、これからの時代では絶対に必要ではないか。
そんな問題意識に沿って、本書は綴られている。
想定されているメインターゲットは、30代~40代のビジネスパーソン(特に男性)だ。
勿論、それ以外の年齢層でも、あるいは女性でも、きっと面白く読めると思う。
個人的には、配偶者と一緒に読むのがお勧めだ。
そんな訳で、パートナーにも読んでもらいたいなあと思っている。

会社、あるいは仕事は、人生の極めて大きな部分を占めている。
その事実を明確に認めた上で、でも会社は人生を託す場所ではないと悟る。
人生の豊穣とは、もっと「生活」の中にあるからだ。
ただ、会社員という存在そのものを、単純に「組織の奴隷」と切り捨てたりはしない。
そうではなくて、会社に寄りかからない人生を、選択的に生きる、という感じかなと。
そういう思考の展開はとても丁寧だと、個人的には感じます。

率直に言うと、藤原和博さんの考え方には、非常に共鳴する点が多い。
適切な表現かどうか分からないけれど、俺にとって藤原さんは、ひそかな「ロールモデル」とでも言うような存在になっている。もちろん、俺は藤原さんではないので、同じことは出来ないし、するつもりもないのだけれど、どこかで追いかけている自分がいるんです。

Saturday, January 07, 2012

スタイルとベーシック

永田洋光さん責任・編集の有料メールマガジン『ラグビー!ラグビー!』をいつも楽しく読んでいるのだけれど、本日刊行された永田さんの論考を読んで、少々考えてしまった。端的に言ってしまえば、大学選手権3連覇を狙う帝京大のスタイルについて、「そこに未来はない」ということでネガティブな評価をされているのだけれど、もう少し丁寧な思考が必要な気がして。

帝京大が大学選手権を初制覇した頃から変わらず採用しているのは、強力なFWを武器に、ポゼッションを最優先とするスタイルだ。ブレイクダウンの優位性を揺るぎないものとしながら、ボールキープ能力の高い外国人選手を核とした近場のアタックを継続して、リスクを可能な限り回避する戦略。BKはロングキックを主体としたエリアマネジメントを徹底すると共に、FWが動きやすい(FWのサポートを得やすい)形を意識した展開を基本軸に据えている。
そのスタイルに対して、「つまらない」 という評価は従来からある。
日本人が世界を相手に戦っていくことを考えた時に、 将来の日本ラグビーを背負う人材を輩出していくべき大学のトップチームのスタイルとして、「未来がない」という評価をしたくなる気持ちは、正直に言えば分からなくもない。ファンにとっても、よりボールがダイナミックに展開される方が面白いのは当然だ。
ただ、俺は思うんです。
スタイルと、それを裏づけるベーシックとは、独立して評価されるべきではないかと。

帝京大の本質的な強さは、そのスタイル自体ではなくて、そのスタイルを80分間に渡って完遂できる安定したベーシック・スキルにこそあると思う。他のチームが帝京大のスタイルを踏襲しようとしても、きっと出来ないだろう。あのスタイルは、彼らがブレイクダウンの局面で求められるスキルを徹底的に鍛え上げた結果であって、その努力と完成度については、冷静に評価されて良いはずだ。更に言えば、あのゲームマネジメントを成立させているのは単純なコンタクト・スキルのみではなくて、例えばコンタクトフィットネス、リザーブを含めた22人全員の戦術理解、グラウンドレベルでのコミュニケーション能力といった全てが揃っていることが重要だ。つまりそれは、本当の意味で「チーム」として機能しているということを意味していて、一朝一夕に出来ることでは決してない。
そのこと自体は、素直に素晴らしいと、俺は思います。

勿論、永田さんの論考の主旨は、もう少し先にあるのだと思っている。
何をもって「ベーシック」とするか。その定義というのは、結局のところチームの志向するスタイルに依拠している。帝京大がブレイクダウンに焦点を当てて、そのスキルを徹底的に磨き上げたのは、彼らのスタイルがそれを要求するものだったからだ。つまり、帝京大が「日本ラグビーの将来」というビジョンからスタイルを再定義すれば、当然ながら要求される「ベーシックの質」は変わってくることになる。
「4年間という限られた時間の中で、日本ラグビーの未来を託された優秀な選手達に叩き込むべきベーシックと経験は、今の帝京大のスタイルからは導き出せないだろう。 」
つまるところ、永田さんの主旨はそういうことかなと思っている。

それでも、やはり思わずにはいられない。「日本ラグビーのオリジナルを追求するにしても、結局のところブレイクダウンは避けて通れない」という現実を。
ブレイクダウンが多少劣勢だったとしても、展開力とスコアへの道筋を持ったチーム。この理想は、誰もが抱いていると思う。 でも、ブレイクダウンが「圧倒的に」劣勢だったら、まず勝てない。そして、インターナショナルの本気のブレイクダウンというのは、W杯のトンガ戦を思い返すまでもなく、「技術と知性を備えた野獣の世界」なのかなと。
帝京大のスタイルがつまらない、ということよりも、ブレイクダウンの劣勢を覆すだけのスタイルを有するチームが登場していないこと、あるいはスタイルを存分に発揮できないほどにブレイクダウンで水を開けられているチームが多いことの方が、本質的な問題かなと思います。

「構造」の醍醐味

佐々木融著『弱い日本の強い円 』(日経プレミアシリーズ)

本日読了。
噂に違わない良書だった。
その動きが非常に捉えづらい「為替」というものについて、極めて分かりやすい解説がされている。勿論、その説明が分かりやすいからといっても、現実の為替変動は多種多様な要因が複合的に絡み合った結果なので、将来の(特に短期的な)変動を予想するのはやはり困難だと思う。とてもじゃないが一般の社会人には無理な話で、そんなことに時間を割く必要もないような気がする。FXで勝負する暇があるならば、仕事で勝負した方が間違いなく利回りはいいだろう。まあ、利回りのために仕事している訳ではないけどね。
本書の価値は、もっと別のところにある。
要するに、為替というものを構造的に理解するための格好のガイドになる、ということだ。自分自身を含めて、金融というものを体系的に学んだ経験がない人間にとっては、本書を読むことでおそらく相当の気づきがあると思う。円高/円安というものの基本的な理解、昨今の国力という非常に曖昧模糊とした概念と為替との相関性は全くないという事実、日本の国益からみた為替の捉え方などは、目から鱗の面白さだ。

それにしても、マクロ/ミクロを問わず、経済学というのは非常に面白い学問だという感覚は、社会人になってから日々強まっている。「経済学は科学ではない」とか「経済学とは、経済学者に騙されないために学ぶものだ」といったように揶揄されることも多いのが経済学だけれど、経済学の醍醐味というのは、極めて論理的なその「推論プロセス」にこそあるような気がしていて、「それで結局、明日はどうなるのか」みたいなことは、ある意味では副次的なものと考えてしまってもいいような気がしている。
構造的な要因に基づく帰結は、ある程度予測できる。
でもそれ以上のことは、結局のところよく分からない。
それでいいんじゃないかなと。
明日が正確に分かってしまったら、そもそもつまらないのだから。

Tuesday, December 27, 2011

メンタリティの綾

ようやく大学選手権2回戦のチェックが完了。
帝京大vs同志社大を観ていないのは、結果を知った今となっては残念だけれど、残り3試合も全て見応えのあるゲームだった。大学ラグビーには、やはり独特の魅力があるね。
筑波大、天理大がいわゆる「伝統校」を破って準決勝に駒を進めた訳だけれど、どちらのチームも「勝てるかも」という雰囲気は全くなかった。グラウンド上にあったのは、「伝統への挑戦」みたいな淡いものではなくて、ただもう「勝つ」という明確な意志だった。
その意味では、ゲームセットの笛が鳴った瞬間の筑波大メンバーの歓喜は印象的だった。創部初の国立がかかったゲームが、重くないはずがない。それでも、キックオフの笛が鳴ってしまえば、もう眼の前の相手とボールが全て。80分間の死闘を終えて、重みから解放された瞬間に喜びが弾けた姿を見ていて、彼らはとても成熟したメンタリティを持って闘っていたのだろうなあと感じた。

ゲームとして最も揺れ動いたのは、早稲田大vs関東学院大だ。
どちらに転んでもおかしくないゲームだった。
関東学院大は、リーグ戦での東海大への惜敗を見て、選手権では化けると思っていたのだけれど、まさに荒馬の本領が出てきた感じがする。いまや伝統になってきた感のあるFW勢の大きなストライドでの突進は、他のチームには意外と見られない魅力だ。大学ラグビーのシャローディフェンスはやや飛び込み気味のタックルも多いので、膝を高く振り上げたワイルドなランニングは、比較的有効なスタイルかもしれない。やや不用意なミスと反則が多いのは気になるけれど、天理大は比較的闘いやすい相手になるだろう。準決勝までの約1週間でも、まだ成長してきそうで楽しみだ。

早稲田大は、惜しまれる敗戦となってしまった。
discipline(規律)のしっかりした非常に良いチームだったと思う。キックに対する戻りの早さ、ラッシュすべきポイントへの反応などは抜群で、本当に良く鍛えられているなあと感じた。
ただ、個人的にちょっと気になったプレーが2つあって。
1つは、後半早々に敵陣での連続攻撃からSOの小倉選手がDGを狙ったこと。
正直な印象としては、意図が分からなかった。関東としては、仮にDGが入っていたとしてもむしろ結束したんじゃないかなあ。「やつらは、俺たちのディフェンスを崩せない」って。
早稲田大の今シーズンの最大の価値は、「スコアまでの射程距離」だったと思うんだ。時間帯とエリアを問わず、隙さえあれば一瞬でトライラインまで持っていく迫力。少なくとも、その雰囲気を常に漂わせているライン。それは、帝京大にもない早稲田のオリジナリティだったと思うのだけれど、あの場面でのDGという選択は、ほんの少しだけ、その雰囲気に曇りをかけてしまったかもしれない。
もう1つは、関東学院大がゴール前のドライビングモールからBKに展開して奪った2本目のトライの際に、早稲田大のラインディフェンスがアップしなかったこと。相手の展開に合わせてディフェンスコースを取っていく選択をして、そのまま外を走り切られてしまった。
あれも、ちょっと意外だった。早稲田こそ、あの場面はシャローしてくると思っていた。
早稲田大は、ルースフェーズでは全般的によく出てディフェンスしていて、相手SHがボールに触れた瞬間の出足は大学トップクラスだと思う。まさにdisciplineの世界だ。つまり、能力としてシャローできないチームじゃない。そこが非常に考えさせられるポイントで、あの場面で、早稲田大のラインディフェンスは、能力以外の要素で足が止まったのだと思うんだ。
結局のところ、それって何だったのだろう。グラウンドに立っていたメンバーの心の中にしか答えはないのかもしれないけれど、そういったとても小さな綾が、スコアを決めていく。
シャローしたら止められたかどうか、それは分からない。
こういのは、どこまで行っても結果論でしかないと思っている。
でも、ゲームの流れを支配する両チームのメンタリティのせめぎ合いの中で、それはワンプレー以上の意味を持っていたのかもしれないと思ったりもする。特にノックアウト・ラウンドの大学選手権においては、そういう側面は強いのかもしれない。
(出場したことがないので、想像でしかないけれど。)

でも、それでもやはり、早稲田大はとても良いチームだった。
それは、間違いないと思います。

Monday, December 26, 2011

2D:4D比


ちょっと気休めのトピックを。
名著『競争と公平感』で有名な大竹文雄さんのblogによると、人差し指と薬指の長さの比率(2D:4D比)と大相撲力士の昇進との相関についての研究があるそうだ。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/142212/126445/70979511

パートナーによると有名な話のようだけれど、なかなか興味深い研究だ。
要するに、相対的に薬指が長い人ほどパフォーマンスが高い傾向がみられる、ということなのだけれど、一見してスポーツ能力とは何の相関もないように思える2D:4D比に着眼して、統計的に有意な傾向を導出するというのは、やはりアクロバティックで面白い。2D:4D比の差異に影響を与えているというテストステロンは、筋肉増大作用を持つ男性ホルモンなので、そこからスポーツ能力全般との相関へと研究が展開されていったのかもしれないけれど、胎児期のテストステロン曝露量が生後のスポーツ能力にある程度まで影響してしまうというのも、人体の神秘であり、また奥深さということなのだろうか。(胎児期のテストステロン曝露量というのは、どのような要因で決まってくるのだろうか。それが見えてくると、妊婦の過ごし方も変わってくるのかもしれない。)

ちなみに、自分自身の2D:4D比は見ての通りです。
パートナーの評価としては、「男性の割には、薬指が短いね」とのこと。
ラグビーが上手くない理由の1つかもしれません。

Monday, December 05, 2011

早明戦

さて、昨日の早明戦。
終始スコアで先行される苦しい展開の中、土壇場で勝利をさらったのは早稲田だった。
結果的にゲームを決めることになった明治の最後の反則は惜しまれるけれど、ワンプレーが全てを決めるような試合ではなかったと思う。80分間にわたってお互いが持ち味を如何なく発揮して、小さなゲームの綾を奪い合った末のラストだった訳だからね。
好ゲームだったと思います。

両チームは、この先どこへ向かっていくだろう。
多少なりともコーチをしている身としては、そのことがとても気になっている。
特に、早稲田だよね。選手権に向けて、彼らは道筋をどのように捉えてくるかなあと。

きっと、明治はシンプルだ。
実際に、明治の方が修正点も明確だ。彼らは自分達の強みを理解している。自分達は、そこで徹底的に勝負するしかない、ということもよく分かっている。あとは、強みが発揮されるエリアでのマイボールを増やすこと。そして、相手のテンポを殺すために、ファーストタックルの精度を更に高めること。端的に言ってしまえば、それだけでいいような気がする。
メンタリティとしても、チームの心をまとめやすいのかもしれない。
「君達はよく戦った。でも勝負の神様が微笑むには、まだ2点足りなかった。それでも君達は、もう一度戦う舞台を勝ち取ったのだから、国立でこの2点分を取り返そう。」
きっとそんなメッセージが、吉田監督から投げ掛けれらているんじゃないか。
まあ、勝手な想像だけれど。

早稲田は、もう少し難しい舵取りを迫られている気がする。
おそらく早明戦というのは、それだけで独立した1つのゴールでもあると思うんだ。
苦しみながらも、まさに土壇場でゲームを引っくり返した早稲田の選手達は、やはり讃えられてよい活躍を見せたのだと思う。勝利を掴んだことは、やはり素晴らしいことだからね。
ただ、ここからは俺の想像になってしまうけれど、辻監督はかなり冷静に修正点を見極めているんじゃないか。更に言ってしまえば、この日のゲームは基本的に「明治のゲーム」だったという総括をされているんじゃないか。少なくとも、明治のシンプルなゲームプランと粘り強いディフェンスに苦しみ、思うようにゲームを運び切れなかったのは事実なのだから。
それでも、勝利を勝ち取った早稲田。
勝利が新たな自信となって、チームを更に高めてくるかもしれない。
でも一方で、修正点への意思の統一は、明治ほど容易ではないかもしれない。

辻監督は、今後チームにどのような言葉をかけるのだろうか。
とても気になるなあ。選手権の早稲田、やはり楽しみです。
「勝利に慢心するほど、ウチの選手はヤワじゃない。」
そんなふうに思っているんじゃないか、という気もするけどね。

Monday, October 24, 2011

本物のW杯

ラグビーW杯、決勝戦。
それはまさしくW杯の決勝戦にふさわしい最高のゲームだった。

NZのハカに対して、闘志で応えたフランス。あのフランスが全員で手を繋いで立ち向かったことにも驚いたが、何よりも心を打たれたのはその後だ。若き主将デュソトワールを中心かつ先頭に据えて、両翼が引いたあの陣形。全てを一身に受けるキャプテン。「メンバーは皆、お前についていく」と言わんばかりの全幅の信頼。そして次の瞬間、前へと歩み出したデュソトワールの完全なる闘士の表情。全員がオールブラックスに挑みかかるように歩みを進め、一本の線となった後、最後の瞬間にはむしろ両翼が前にそり出して、デュソトワールは扇の要に位置を取る。きっとあの場にいた21人のフランスのメンバーは思っていたはずだ。「前線は俺たちに任せろ」って。

そしてキックオフ。
ウィプーが蹴ったボールが空中戦で弾かれると、後ろにこぼれたボールをコリー・ジェーンが巧みに放して左に展開。その瞬間、フランスのディフェンスラインが今までにない速さで外から鋭く押し上げてくる。その最前線に立って、ウィプーを全身で押し返したのは、他でもない主将デュソトワールだった。
この瞬間、フランスはこの試合で「本物のフランス」を見せると確信した。

フランスにとって、決勝はある意味では戦いやすかっただろう。
予選プールで完敗しているNZを相手に、圧倒的不利という下馬評の中で、アウェイの地で戦うのだから、失うものなど何もない。ブーイングなどに決して揺るがない屈強な自己を備えているのは、準決勝のウェールズ戦が証明している。フランスはやるはずだ。
そこに最高の準備と、最高のリーダーが加わって、フランスは本物になった。

そう、本当に精神的にプレッシャーを受けるのはNZの方だ。
それはもう、キックオフの前から分かっていたことだ。
でも、漆黒の集団にも同じように最高のリーダーがいた。そして、世界最強を宿命づけられた集団は、そのメンタル・タフネスと集中力もやはり最高に素晴らしいものを備えていた。
苦しい時間帯においても、一糸乱れることのないディフェンス。
フランスの執拗かつ速いディフェンスに苦しみながらも、殆どミスすることなく果敢にアタックし続け、その一方では冷静に、的確なキックを織り交ぜてゲームを引き締めたマネジメント。80分間を通してみればテリトリー、ポゼッション共にフランスを下回りながらも、唯一のトライを許したあの場面を除いて、やはりNZは試合巧者だった。
最高の場所で輝きを見せるはずだったクルーデンを欠いても、最後にやや苦しんだ今大会の精神的支柱ウィプーを欠いても、決して崩れない。いや、崩させない。
オールブラックスもまた、本当に強かった。

まさに人間の勝負。
W杯を戦うのは、つまるところ人間なのだと強く感じた大会だった。
終わってしまったのが少々寂しいけれど、本当に良い大会だったなあ。

Monday, September 26, 2011

流れを掴むために

名古屋大学ラグビー部のシーズンが、本日開幕した。
緒戦の相手は、今シーズンからA2リーグに昇格してきた名古屋経済大学。
社会人時代の先輩、肥後さんがヘッドコーチを務めているチームだ。

今シーズン、名古屋大が掲げたチーム目標は『A2リーグ全勝、A1リーグ昇格』。
でも、この日の結果は28-31。
とても残念なことに、緒戦をもって早くも目標の修正を余儀なくされることになった。

スコアが示している通り、チーム力に顕著な差はなかったと思う。
双方共にミスが多くて、お互いに流れに乗り切れないようなゲームだったけれど、大局的に捉えれば、前半(0-17)は完全に名経大のゲーム。後半、風上に立った名古屋大がうまくゲームを運んで3トライを奪い、後半20分までに21-17と引っくり返したのだけれど、ここがゲームの綾だった。自陣10m付近のブロークンな状況から大外展開で持っていこうとした名古屋大が、ミスから流れを失うと、名経大の逆襲を防ぎ切れずに再逆転を許してしまう。21後半ラスト10分を切ってから10点差まで点差が広げられた時点で勝機はほぼ失われ、終了間際に1本返すのが精一杯だった。

ラグビーのレベルを問わず、ゲームには流れというものがある。
手繰り寄せるのも、失うのも、自分達次第。
風下の前半、敵陣で不用意なペナルティを繰り返してしまう。
相手の得意パターンであるインサイド主体の攻撃を、分かっていながら狙い撃ちできない。
我慢の時間帯に、一度は相手のジャージを掴んだ指を、簡単に離してしまう。
0-17は、自分達で招いた当然の展開だった。
それでも後半、風上からキックでエリアを確保すると、FW・BK共に持ち味が生きてくる。敵陣22mライン付近からのモールをFWが押し込んで反撃の狼煙を上げると、今度は敵陣10mあたりからの連続攻撃からBKがラインブレイクして連続トライ。この時点で、名古屋大がすべきことは完全に見えていたはずだった。

後半の残り時間は20分弱。風上で4点差。
名古屋大にとってのスコアへの射程距離は、敵陣10mライン。
スクラムは劣勢だが、FWのモールは計算できる。
ブレイクダウンでのボールへのプレッシャーは決して強くない。
執拗な絡みもないので、孤立しなければボールはリサイクルできる。ロストの大半はミスだ。
相手は自陣からでも展開してくるチーム。キックのオプションは少ない。名古屋大のキックに対しても積極的にカウンターを仕掛けてくる。でも、CTBの戻りは早くない。

これだけの条件が揃って、チームが何を選択するか。
ここがゲームの分岐点。そして、この日の名古屋大が流れを失ったのが、まさにここだった。

確かにチャンスはあった。
それは間違いなく事実で、積極的に展開しようという意志を否定するつもりもない。
それでも、チームの状況とゲーム全体の流れを見れば、考えるポイントは他にあったんだ。
4点差というのが、自分達にとってどの程度のアドバンテージなのか。
そこにあるチャンスフェーズは、スコアのチャンスなのか、 10mゲインのチャンスなのか。
その時間帯、その局面において、相手は何を考えているのか。

そういったことを、もっと考え抜かないといけない。
もっと思考して、それを身体で表現できるように。
リーダーの思考を、15人のパフォーマンスにすっと落とし込めるように。
こんなところで、つまらない試合をしていては勿体ない。
何よりも、自分達がこれまでにグラウンドで費やしてきた時間がね。

チームは緒戦から苦境に立ってしまったけれど、もう終わったゲーム。過去は取り戻せない。
次のゲームから、チームを立て直すしかない。そして、そのためにすべきことは1つしかない。
そう、練習を変えていくしかないんです。頭も身体も、常に全力を投じて。

Thursday, September 22, 2011

惜しまれる一戦。

ラグビーW杯、予選プールA
日本 18-31 トンガ

ジャパンのことは心から応援しているけれど、正直、観ていて辛いゲームだった。
ラグビーを愛する多くのファンが、同じような思いを抱いたのではないかと思う。

出来ることならば、もっとジャパンの強みを生かした戦い方をしてほしかった。JSportsで現地リポートをされていた村上晃一さんの言葉にもあったように、この日のジャパンは「慎重さ」をやや欠いていた。不利なエリアで不用意なアタックをして、小さなミスから必要のない失点を重ねてしまう展開。素直な印象で言うならば、典型的な負けパターンに嵌まり込んでしまっていた。一方のトンガは、ジャパンが露呈した小さな隙を逃すことなく、エリアとポゼッションを確実に奪うと、SOモラスの正確なゴールキックから着実にスコアを重ねていった。そう、小さな隙。それは例えば大事な局面でのハンドリングエラーや自陣でのペナルティ、あるいは幾つかの局面におけるプレー選択のミスだったりするのだけれど、1つひとつの小さな隙が致命傷になってしまうのが、W杯の怖さなのかもしれない。

勿論、トンガの勝因はそれだけではない。最大の要因は、言うまでもなくブレイクダウンだろう。80分間に渡っての執拗なプレッシャーは圧巻だった。 ポイントに対する寄りが全般的に遅れ気味だったジャパンは、トンガのパワフルなヒットとボールに絡みつく圧力に、終始苦しめられた。ジャパンとしては、ここまで劣勢に立たされるとは正直思っていなかったのではないかという気がする。あのブレイクダウンへの徹底的な拘りは、トンガを讃えるべきかなと思う。

ジャパンの戦術であったり、ゲームマネジメントについては、W杯終了を待つことなく、色々な人が、色々なことを言うだろう。間違いなく批判の矛先が向かいそうなポイントも、現時点である程度まで想像できる。そしてそれは、勝負の世界では仕方のないことだとも思う。
でも今は、残されたカナダ戦のために、全てを捧げて集中していってほしい。
W杯という舞台のためにジャパンが捧げたこの4年間の全てを賭けて、最後にジャパンのベストバウトをしてもらいたいと、心から願っている。
トンガ戦は惜しまれるゲームだったけれど、もはや過去でしかないのだから。

ちなみに、トンガ戦で最も心に響いたのは、やはりマイケル・リーチの姿。
本当に素晴らしかった。まさに獅子奮迅の活躍。彼はこのW杯における全ての瞬間で、魂を感じさせるプレーを続けているね。今のジャパンで、個人的には最も好きな選手です。
そして堀江、畠山というフロントローの2人も素晴らしかった。リーチを含めて、この3人のプレーには特に惹かれるものがあった。興味深いのは、リーチや堀江が持ち込んだボールをターンオーバーされるケースは極めて少ないということ。例えばアリシ・トゥプアイレイや遠藤に代表されるようなフィジカルの強いタイプの選手と比較しても、ボールの活かし方は秀でていると思う。これは、ジャパンの活路を考える際のヒントになるのではないかと、個人的には思っている。トンガのようなタイトなプレーの得意なチームに対しても、身体を柔らかく使ってボディ・ポジションをコントロールしたり、ターンのようなヒットの芯をずらすようなプレーは有効に機能していて、狭いスペースを上手にドライブで抉じ開けたシーンというのは、局所的に見れば大半がこういった「柔らかさ」に起因していたと思う。「柔よく剛を制す」と言ってしまうと少々誤解を招くかもしれないけれど、ジャパン、ひいてはフィジカルでの劣勢に向き合っていかざるを得ない多くのラグビーチームにとって、目指すべき1つの形ではないだろうか。

Sunday, September 04, 2011

My Problem

9/2-3と社内タスク@小田原に参加してきた。
要するに、現在の会社の課題について若手メンバーで議論を重ねて、それを改善するための施策提言を経営層に対して行うというもので、4月以降、約半年間に渡ってチームでの活動を継続してきた。通常業務を抱える中で、タスクの活動はそれなりに重かったけれど、日頃はさほど意識することのない課題について、バックグラウンドの異なる様々な人達と議論するのは、個人的には結構楽しかった。
この2日間は、各チームで纏められた施策の発表と、川本裕子さんによるゲストスピーチがメインだったのだけれど、自分自身にとっては本当に多くの気づきがあり、とても良い経験だったかなと思っている。また、様々な方との懇親の機会を得られたのも良かった。

まず、初めて英語で15分間のプレゼンテーションをした。
自身の英語力はまあ仕方ないとして、改めて強く思ったことがある。
英語でのプレゼンにおいて、最も大切なのは英語じゃない。
遥かに重要なのはコンテンツそのものであり、その表現(プレゼンテーション技術)だ。
勿論、表現において英語の巧拙が決定的だったりもするのだけれど、その際に重要なのも、きっと正確な発音、正確な構文じゃない。それ以上に重要なのは、例えば意図された抑揚であり、ブレスであり、間だ。(決して発音や文法的な正確さが不要だというつもりもなくて、Priorityの問題だとは思うけれど。)
これは素直な実感なのだけれど、とても勉強になった。

コンテンツには、思いはあったんだ。少なくとも、自分にとってはね。
でもきっと、あまり受けていなかったと思う。それも、1つの大きな気づきだった。
今回のタスク活動を続けてきて、明確に自覚できたことがある。それは、今、自分の関心が「人間そのもの」に向かいつつある、ということ。例えば、モチベーション。誰かの心に火をつけるのは、本当に難しい。でも、ほんの小さなことがきっかけで、人のモチベーションは一瞬にして毀損したりする。自信や信頼なんかも同じだ。本物の自信、本物の信頼というのは、簡単じゃない。本物の自信を待っていたら、人はいつまで経っても1歩目を踏めない。挑戦はいつだって、自信そのものを追いかけるようなものだからね。

みんな言うんです。挑戦しようぜ。信頼関係で仕事しようぜ、って。
でもそれは、2日目のゲストスピーカーだった川本裕子さんの言葉を借りれば、「反論されない」ものなんだ。挑戦することの価値は、誰も否定しない。信頼関係はあった方が良いに決まっている。問題は、そのことを分かっていながら、誰もが臆することなく挑戦する訳でもなければ、お互いを信頼して仕事をできる訳でもない、ということだ。そして、挑戦を強制されると、往々にして「できること」だけをオープンにするのが人間の性だということだ。

そう、人間の性。ここから逃げちゃいけない。
そういうことを伝えたかったのだけれど、力量不足だったかな。
でも勿論、今度は自分自身が逃げちゃいけないよね。
社長の英語の質問をよく理解せずに完全にスルーしたという程度のミスは、自分の中で早々に帳消しにして、もっと考え抜いてみようと思います。

これも、川本さんが講演の中で言っていた。
課題というのは、課題と認識された時に初めて課題になるのだと。
つまり、自分の課題認識から逃げてしまったら、それは課題でさえなくなってしまうんです。

Tuesday, August 16, 2011

SPIRIT -山中湖 #2-

山中湖合宿も2日目を終了。
IBMラグビー部の作田さん・西山さんが急遽参戦してくれたこともあって、非常に気づきの多い時間を過ごせたのではないかと思う。こうしてラグビーがつないでくれる人の縁に、心から感謝したい。

今日の練習は、全体としてみれば昨日よりもクオリティの高いものになった。2人の猛者によるところも大きいけれど、やはり選手自身が「昨日のモードを越えていかないといけない」という意識を持って臨めたということだと思う。この点では、まずは一歩ずつでも前進かなと。その上で、この日の練習全体を振り返った時のキーワードとして、真っ先に頭に浮かぶのはSPIRITという言葉だ。つまり、魂だね。

この日の午後はAvsBでのADだったのだけれど、体育会ラグビー部におけるAチームとBチームには厳然たる差があるはずだ。実際の実力云々の前に、Bチームは公式戦でジャージを着られない。チームの代表として公式戦を戦う権利を持つのがAチームであって、(決してBチーム以下の責任感とチームへの貢献を否定するものではないけれど)背負うものはどうしても違う。
Aチームである、というのはそういうことで、その一線を絶対に譲らない、あるいはBチームにとっては半歩でもいいからその一線の先に喰い込んでみせるという気概が、チームを成長させる。
そして、これこそがスピリットの生まれるポイントだ。
今はまだ、ここが弱いんだ。
スピリットがないというよりも、ごく一部の限られた人間のスピリットに、その他大勢のメンバーが依存している感じがする。自分自身の中から、内発的に生まれるスピリットが正直かなり甘いのだと思う。
例えば、現時点で何人かのAメンバーが怪我人をしているのだけれど、繰り上がってAチームにいるメンバーに、危機感が感じられない。「やつが復帰する前に俺の評価を固めてみせる」という意志も見えないし、そういう行動もしていない。2倍練習しようという気もないならば、最初からAチームのジャージを着るなよと。
Bチームには1年生も何人か加わっていたのだけれど、幾つかのシーンでは彼等のアタックに切られている。それでは通用しないよ、と身体で示してやるのがAチームの責務であり、またスピリットだろう。普通にパスをつながれて、「あの場面はどうだったか」とかはっきり言って関係ない。何でもいいからAチームの意地だけで止めてみせろよと。

ここが今の課題だね。
スピリットを他人に依存してはいけない。
それは、端的に格好悪い。
自らの意志で、闘う集団に変えていかないと。

Monday, August 15, 2011

山中湖 #1

山中湖合宿、初日が終了。
今日の総括をまとめておきたい。

まず、チームとして今すべきこと。
端的に言えばそれは、decipline(規律)という言葉が全てかなと感じている。
例えば、セット。クラブチームとの合同練習でも、先にセットできていない。普段の練習で意識づけされていないのだから当然だ。こういうのは、日常を変えない限り変わらない。ラインを1本廻したら、ジョグバックしてセットしてから休む。フィットネスのメニューでも、1本終えたら苦しくてもジョグセット。こういう基本的なポイントを変えていかないと。「意識」というのはある意味ずるい言葉で、その先の行動を隠蔽してしまう側面もあって、そこに踏み込めないのは、結局のところ弱さなんです。
セットだけじゃない。小さなことだと、練習の開始時間も緩い。決められた時間にきちんと始まっていない。合同練習の終了後をどのように過ごすのか、例えばその時間は休憩なのかチームトークなのか、といったことが厳密にコントロールされていない。コーチの立場でこちらが仕切っても良いのかもしれないけれど、基本的に正式コーチでも何でもない今の自分の立ち位置からすると、学生自身の主体的なマネジメントをやはり期待したい。

具体的なプレーでいうと、FWは中間走とスタート。接点もまだまだ甘いけれど、接点を自ら予測して、そこに到達できないことにはスキルも生きてこない。今のFWのコンタクト・スキルは正直なところ決して高くないけれど、早いセットときちんとしたスタートダッシュができれば、今のレベルでももっと出来ることはあるはずだ。
BKは、とにかく精度だね。イージーミスが多すぎる。要するに、ハーフスピードかつノープレッシャーでの練習では意味がないということだと思う。練習におけるプレッシャーを高めないといけない。これもセットと同じで、意識ひとつと言いながらも、意識だけでは変わらない。

結局のところ、全ては練習の密度なんです。

Monday, July 04, 2011

Standard

長谷部誠著『心を整える。』(幻冬舎)、読了。
http://p.tl/ndeR

サッカーW杯南アフリカ大会で日本代表のゲームキャプテンを務めた長谷部選手。
そのサッカーへの熱意、プロフェッショナルとしての拘り、自身の持ち味を最大限に生かすための工夫、そして心のあり方。そういったものが、素直に綴られている。

目次をざっと読むだけで、何度も首肯してしまう。
アスリートとしてのレベルも拘り方も全く異なるけれど、自分自身がずっとラグビーを続けてきた中での感覚を思い浮かべながら読んでみて、「そうだよなぁ」と素直に心に沁み込んでくるメッセージが多かった。勿論、人間性はそれぞれなので、長谷部選手のスタイルが合う人もいれば、そうでない人もいるだろうけれど。

ただ、アスリートとして「パフォーマンス」に対する意識が徹底していて、全くブレがないのは、それだけでも素晴らしいことだと思う。諸々全てを「自分に紐付けて」考えている点も、とても気持ちの良い姿勢だよね。

書かれているポイントは、スポーツをする人間には非常に分かりやすい。
でも、ここで思うんだよね。
プロフェッショナルを目指すのは、ビジネスも同じだろう、って。
ビジネスだけじゃない。1人の人間として、結果に責任を負う生き方を志すならば、結局のところ目指すものは同じなんじゃないか、って。

譲れない一線を、どこに引くか。
長谷部選手はそれを、「プロフェッショナル」という一点に定めたのだと思います。
「心を整える」という表題は、彼にとってそれこそがプロフェッショナルであり続けるための必須条件だったからだと、俺はそう解釈しています。

だから必要なのは、きっとノウハウじゃない。
本当に必要なのは、自分自身の生き方に求めるスタンダードなんです。