1日遅れになっちゃったけど、昨日の『日曜美術館』で見た、河合寛次郎。
魅力的なひとでした。
若くして「陶界の一角に突如現れた彗星」と呼ばれながら、33歳にして己の作風に疑問を感じる。
寛次郎は想う。結局は先達の模倣ではないか、と。
その後、3年の時を経て彼はそれまでとは別の地平に辿り着く。それは日々の生活から切り離されるのではなく、生活の中に深く根を張った美で、それこそが「民藝」と呼ばれる世界。
寛次郎は、豊富な言葉を持った人でもあり、民藝をしてこう表現する。
世界にはふたつあるのだと知った。
ひとつは、美を追いかける世界。
もうひとつは、美が追いかける世界。即ち、工芸の世界。
『日曜美術館』で紹介されたその後の寛次郎の作品は、素晴らしいものばかりだったよ。泥刷毛目皿や、三色打薬壷と呼ばれる赤・黒・緑の3色の釉を打ち付けて造られた壷は、うまく言葉に出来ないけれど、泥の匂いと同時に、どこかスマートな部分を併せ持っていて、おれの心に鮮明なイメージを焼き付けていきました。
番組のサブタイトルにもなった寛次郎の言葉も、おれの心にしっかりと残ってます。
「新しい自分を見たいのだ。」
作品の素材とした泥や金属や、そういった全ての中に「新しい自分」が詰まっている。そして、そうした「新しい自分」たちは、早くここから出してくれ、といつも執拗に問いかけてくる。だから私は、そいつらを外に出してやりたいんだ。
寛次郎は、そう考えてたんだって。
いわちん、ここに宝石探して歩いてる先輩がいたよ。