今日もいい言葉に出会いました。
「策には三策あり」
メールマガジンでひろった言葉なので、誰のものかは分からないけれど、ある企業経営者のことばらしく、そのひとはこうも言っていたんだって。
「『万策つきた」という人がいるが、実は万策でなく、単に一策の計画のみの場合が多い」
さらに、3つもの策も考えるのはとてもできない、という人には、こう返したとか。
「ピクニックに行く時には、天気の場合、雨の場合、空模様の怪しい場合、それぞれの支度を考えるでしょう。どうして、そうしないのですか」
営業という仕事でなかなか結果が出ていない中で、改めて自分のゆるさを痛感する言葉だった。
前にも書いたけど、営業に限らず「戦略を考え抜く」っていうのはとても重要なことだと思う。そこで今度は「考え方」だよね。
三策考える、というのは、つまりは複数の前提をおく、ってことだと思う。もちろん、ひとつの前提から導き出される結論だってひとつということはなくて、例えばピクニックの日が雨だとしたら、合羽を持っていくとか、行く場所を変えるとか、そもそも行かないとか、いろんな選択肢があるはず。でも、そもそも雨が降らない、ってケースをきちんと考えておく、ってのがポイントなのかなって。
これは、意外と出来ないことだと思う。
なぜ出来ないかを考えたとき、ふたつのポイントがあるような気がする。
ひとつは、希望的観測が入り込むこと。
営業で考えてみるとよく分かる。
経費削減効果のあるものは買ってくれる。製品の機能が優れていれば評価してくれる。こういうのって、そうあってほしい、という希望にすぎないことが往々にしてある。例えば、向こう5年間で3億の経費削減効果があっても、直近の1年を乗り切る為には、5千万の投資を躊躇せざるを得ないかもしれない。いくら製品機能が優れていても、それがお客様にとってのメリットにならなければ意味をなさないのは当然のことだよね。これほど単純でないにしても、同じ構造はいろんなところに蔓延していて、かなり意図的に、自覚的であろうとしないと、すっと心に忍び込んでくるような気がする。
もうひとつは、「前提」というものを固定的に考えがちだということ。
いちど置いた前提というものが、日々変化していることを、つい忘れてしまう。例えばスポーツだったら、それぞれのシーズンでチームの戦力はまったく違う。メンバーの人数、基本スキルのレベル、経験、どれをとっても、前のシーズンとまったく同じということはないと思う。それに、相手チームの状況だって違うはずだし、もっと言えば、チーム運営の予算が変わってたり、さらにはルールが変わってることだってある。それなのに、同じやり方を続けてしまうことって、スポーツには実はよくある。それが「伝統」という言葉のもとに賛美されることが時にあるけど、本当の「伝統」というのは、変えないことじゃない。むしろ、前提が変化している中でもなにかを保ち続ける為に、必要な変化を受け入れること。これこそが「伝統」というものだと思う。
たぶん前提、というのは、あるタイミングとシチュエーションでの前提なんだ。
週間天気予報なんて、全然あたらないんだから。