Wednesday, August 15, 2012
『墨を読む』
俺が幼い頃は、父親は本を読まなかった。
自宅で読書に耽っている姿は、ほとんど記憶にない。
そんな父が、ある頃から本を読むようになった。市の図書館に通い、何冊かの本を借りてきては、枕元に置いて読むという生活スタイルになっていった。それが正確にいつ頃だったかは思い出せないが、少なくとも40歳を過ぎてからだったような気がする。(自信はないけれど。)
さて、本書はそんな父の書棚に並んでいたものだ。
幾つかは、学生時代に俺が買って実家に送ってあった本もあったけれど、本書を買った記憶はない。今の状態になる前に、父が自ら買って読んだのだろう。なんとなく気になったので、返事のできない父の右肩に手を置いて、一言「持っていくよ」と声をかけて、鞄のポケットに入れて帰ってきた。
書家、篠田桃紅。その書に短文が添えられているけれど、メインはやはり書だ。
鋭くて、美しい。文字とはこうして芸術になるのか。
小さな文庫本で見て感想を書くのも失礼かもしれないけれど。
素直にいいなあと思うものが、本当に沢山あった。いい本だと思います。
Monday, August 13, 2012
心を開く建築
父はずっと自宅を事務所に建築設計士をしていた。
約2年前に病気をして、右半身麻痺と言語障害が残ってしまい、今は車椅子。寂しいけれど、母が廃業の手続きをすることになった。
言葉を失った父は今、考えていることを表現できない。
ただ、何かを考えている。目がそう語っているからね。
帰省する時に、何か気持ちが開くものを持っていこうと思った。
モノに対する執着心が全くない人なので、ちょっと悩んだのだけれど、最終的に選んだのが本書だ。坂茂。紙や竹、布といった有機的な素材を用いた建築を数多く生み出してきた日本を代表する建築家の作品集だ。
そうしたら、驚くほどの反応があった。
分厚い作品集の頁を、多少ぎこちない左手で1枚ずつ繰って、本当に食い入るように坂茂の建築を見つめていた。その姿を見ていて、父の好奇心が全くもって枯れていないということが、はっきりと分かった。
坂茂の建築は、俺も好きだ。自分が好きだから選んだということもある。
建築を生業とした親に育てられながら、建築を表現する言葉を持っていないことが本当に情けないけれど、坂茂の建築は、現代的でありながら、冷たくない感じがする。クールすぎないというのかな。寂しくない。包装された状態で、中身を確認せずに買った1冊だけれど、素晴らしい内容で本当に嬉しかった。
実は、横浜の自宅にも置いておきたくなったくらいです。
Saturday, August 11, 2012
『理不尽に勝つ』
平尾誠二さんといえば、神戸製鋼の黄金時代を築いた名プレーヤー。ラグビーを知らない人にも広く知られているという意味でも、日本ラグビー界において稀有な存在だ。現役引退後は神戸製鋼GM、ジャパン監督として日本ラグビーを牽引しながら、一方ではクールな知性を武器に、多方面で幅広く活動されている。
平尾さんは著書も多くて、俺自身も何冊か読んでいるのだけれど、当然ながらラグビーを正面から扱ったものが多い。プレーヤーとしてのみならず、指導者としての豊富な経験をバックグラウンドとして、様々な切り口から多面的にラグビーが捉えられていて、興味深い著作が幾つかある。ただ、本書に関して言えば、ラグビーそのものというよりも、ラグビーをコアのエッセンスとした「平尾式人生訓」といった感じの方が近いかもしれない。その意味では、ラグビーと縁遠い人にも読みやすい1冊だ。
平尾さんというのは、「理」の人なのかなという気がしている。
例えば本書のタイトルにもなっている「理不尽」というものが立ち塞がってきた時に、「気合」や「根性」でとにかく乗り越えようとするのではなくて、「理不尽の先に、何があるのか」「今、理不尽に立ち向かうことの意義や意味は、どこにあるのか」といったように、そこに理不尽が存在することの「理」を突き詰めることで、自身をモティベートしていくタイプなのかもしれない。ただそれは、「気合」や「根性」ありきではないというだけで、決して「気合」や「根性」を否定するものではない。ここが重要だ。
平尾さんは言う。人間は生まれながらにして不公平な存在である以上、どこかに必ず理不尽が存在するのは当然だ。でも、その理不尽こそが人を育てるのだ、と。それが本書のキーメッセージであり、その基本的なスタンスのもとで、平尾さん自身がいかにして理不尽と向き合い、そして乗り越えてきたのかが綴られている。
でも、誤解を恐れずに想像するならば、おそらく平尾さんは、本書のために自身の経験を再構成されているようなところがあるのではないだろうか。つまり、「理不尽に勝つ」というメッセージが先にあって、その立ち位置を定めた上で、改めて自身の経歴を振り返っているような、そんな感じが多少しなくもない。そして俺としては、「理不尽に勝つ」というよりも、「理不尽と感じない」という方が実感に近かったのではないだろうかと、勝手ながら想像している。
理不尽だと明確に意識しながら毎日を過ごすのは、結構な苦行だと思う。例えば自分に後輩がいたとして、毎日が理不尽の連続でしかないと嘆いていたとする。俺だったら、「逃げてしまってもいいんじゃないか」と言ってあげたい。「理不尽の先にしか幸せはないのだから、理不尽から逃げるなよ」とは、正直ちょっと言いづらい。本当に理不尽だったら、逃げる選択肢を残しておいていいんじゃないか。「乗り越えられない自分は、やはりダメなのか」といったように、不必要に自分を追い込むこともないと思う。でも、場合によっては「それって、考え方を変えると理不尽でもないのかもしれないね」というケースはあるような気がして、これだとちょっと事情は変わってくる。
だからきっと、本当のコアメッセージは、「理不尽に勝つ」というよりも、「理不尽でなくしてしまう」ということなんじゃないか。平尾さん自身も、きっとそういう「理不尽の消化」をしてこられたのではないだろうか。
なんとなくだけれど、勝手ながらそういう想像をしています。
Wednesday, August 08, 2012
『アフリカの奇跡』
ケニアでマカダミアナッツ工場を起業・経営して、マカダミアナッツ業界で世界5位、年商約30億円を誇るアフリカ有数の食品加工メーカーに育て上げた日本人がいる。
小石川高校ラグビー部出身。10歳の頃に左目を失明していた隻眼ラガーマンは、まさしく魂の赴くままに、日本を取り囲む大海を軽々と飛び越えて、アフリカの大地で自分自身の人生を煌々と燃やし続ける。そして70歳を過ぎた今も、そのバイタリティが発する強烈な輝きを失うことなく、日々挑戦を続けられている。
それが本書の著者、佐藤芳之さん。
もう本当に魅力的すぎる。ラグビー部というだけでも、ぐっと来てしまうのに。
一応書いておくと、本書は経営の指南書ではない。
日本とは文化的・社会的背景が全く異なるケニアの地で、現地人のモチベーションを巧みに引き出しながら、「アフリカ人の自立のため」の工場経営を常に意識していたという佐藤さんの経営手法は、当然ながら非常に興味深い。アフリカビジネスが注目されている今、その経営から学ぶべき点は多い。でも、やっぱり経営の本じゃない。
本書は、ヒトがメインの本だ。
「ヒトがする経営」ではなくて、「経営するヒト」の本。この順序は大切だ。
だからこそ、本書は圧倒的に面白い。佐藤さんの人間的な魅力が詰まっていて、その器の大きさは、読む側の心を強く揺すぶってくれる。
本書と並んで平積みされている多くのビジネス書は、昨今のトレンドもあって、非常に「小さなこと」を殊更クローズアップしているものが多い。「ダンドリ力」「気配り力」「質問力」といった調子で、「大切だけれど、小手先でしかないもの」が蔓延している。でも結局のところ、そんなことではないのだというのが、本書を読めばよく分かる。
最後は「器」、これに尽きるなあと。
ページを繰るたびに、素晴らしい言葉が随所に転がっている。
是非読んでみてほしい。
チマチマしたくない人に。そして、あまねく全てのラガーマンに。
最後に、本書の末尾に添えられたジェームス・ディーンの言葉を書き留めて。
"Dream as if you'll live forever. Live as if you'll die today."
Sunday, August 05, 2012
クーリエ。そしてブータン。
久しぶりにクーリエも買ってみた。
特別付録CD『一度は聴いておきたい最高の作曲家10人(The Greatest 10 Composers)』なんかもあって、かなり楽しめる1冊だ。読み応えがありすぎて、なかなか通読できないのだけれど、クーリエは(雑誌、編集部ブログ共に)いつも新鮮な驚きがあって面白い。
例えば、『ブータンは本当に「幸せな国」なのか』というレポートがある。GNH(国民総幸福量)という独自の指標を掲げるアジアの小国、ブータン。2005年の国勢調査において、97%の国民が「幸せ」と回答したことは有名だが、その調査がどのようなものだったかは殆ど知られていない。編集部ブログ(http://courrier.jp/blog/?p=12123)から引用してみよう。
『この質問は、自分の幸福度を「とても幸せ」「幸せ」「あまり幸せでない」の3つから選ぶという単純なものでした。5段階でもなく、4段階でもないというところが一つのポイントです。「ふつう」を選びたい人は、「幸せ」を選ぶしかないようです。
(中略)97%というのは、じつは「とても幸せ(very happy)」と「幸せ(happy)」の両方の回答をあわせた割合です。』
その後、2010年の国勢調査では全く異なる調査方法が採用され、結果として「幸せ」な国民の割合は41%にまで激減している。そのカラクリは、編集部ブログに詳しいけれど、こうしたことひとつを取ってみても、メディア・バイアスは相当なものがある。
本誌記事はそんなブータンの実情を、写真を交えながら豊富な文量で紹介していて、なかなか考えされられるものがある。「難民キャンプ」「反政府武装勢力」といった、一般的なブータンの印象とマッチしない言葉が、今、どういう意味を持っているのかということを、正面から語っている良記事だと思う。
なんてことを、付録CDを聴きながら書いてみたのだけれど、このCDもなかなか聴き応えがあっていいですよ。(まあ、クラシックはほぼ門外漢だけど・・・。)
特別付録CD『一度は聴いておきたい最高の作曲家10人(The Greatest 10 Composers)』なんかもあって、かなり楽しめる1冊だ。読み応えがありすぎて、なかなか通読できないのだけれど、クーリエは(雑誌、編集部ブログ共に)いつも新鮮な驚きがあって面白い。
例えば、『ブータンは本当に「幸せな国」なのか』というレポートがある。GNH(国民総幸福量)という独自の指標を掲げるアジアの小国、ブータン。2005年の国勢調査において、97%の国民が「幸せ」と回答したことは有名だが、その調査がどのようなものだったかは殆ど知られていない。編集部ブログ(http://courrier.jp/blog/?p=12123)から引用してみよう。
『この質問は、自分の幸福度を「とても幸せ」「幸せ」「あまり幸せでない」の3つから選ぶという単純なものでした。5段階でもなく、4段階でもないというところが一つのポイントです。「ふつう」を選びたい人は、「幸せ」を選ぶしかないようです。
(中略)97%というのは、じつは「とても幸せ(very happy)」と「幸せ(happy)」の両方の回答をあわせた割合です。』
その後、2010年の国勢調査では全く異なる調査方法が採用され、結果として「幸せ」な国民の割合は41%にまで激減している。そのカラクリは、編集部ブログに詳しいけれど、こうしたことひとつを取ってみても、メディア・バイアスは相当なものがある。
本誌記事はそんなブータンの実情を、写真を交えながら豊富な文量で紹介していて、なかなか考えされられるものがある。「難民キャンプ」「反政府武装勢力」といった、一般的なブータンの印象とマッチしない言葉が、今、どういう意味を持っているのかということを、正面から語っている良記事だと思う。
なんてことを、付録CDを聴きながら書いてみたのだけれど、このCDもなかなか聴き応えがあっていいですよ。(まあ、クラシックはほぼ門外漢だけど・・・。)
Friday, August 03, 2012
『俳句いきなり入門』
ひそかに、俳句を書いてみようと思ったことがある。
Facebookでも2回ほど書いてみた。いや、正確には2回目は季語がない川柳なので、1回しか書いていないかな。誰に語りかけるでもなく、ふと思い立って書き留めてみたつもりなのだけれど、実はパートナーは心の中で思っていたそうだ。
「やめてくれ」って(笑)。
さて、本書はやや異端の俳句入門書だ。
なかなか変わり種のイベント、公開句会「東京マッハ」の司会を務める千野帽子さんが、俳句の世界の魅力を、独特の切り口で綴っている。
まず、基本的に句作の入門書ではない。著者によれば、俳句を支えているのは作者ではなく、読者なのだそうだ。句会があるから、俳句を作る。そして、句会の魅力は投句よりも選句にある。本書は一貫して、そのスタンスで書かれている。
句会か。考えたこともなかった。
でも、本書を読んでいると、これが面白そうに思えてくる。
何が面白いか。俳句の意味というのは、作者のちっぽけな自我によって規定されるものではなくて、作者の意図を越えて、読む側の想像力が十七音の外側に無限の広がっていくことで、新たな意味が常に発見されていく。そのプロセスこそが面白いのだというのが、本書のメッセージだ。句会とは、そのための舞台なのだ。
俳句とは「自分の言いたいこと」を表現するものではないと、著者は言う。
『俳句は自分の意図にではなく言葉に従って作るものだ。だから自分で思いつかない表現が出てくる。自分の発想の外側に着陸できる。坪内稔典さんも言うとおり、感動したから書くんじゃなくて、書いたから感動するのだ。』
『「自分の意図をわかってもらう」ためなら、なぜ十七音でリズムも決まってて季語も切れも必要なこんな縛りだらけの形式を選ぶのだろう。ふつうにもっと長い文章書けばいいじゃん。』
なるほど。興味深い指摘だ。
言葉が先にあるのか。そう思いながら俳句を読んだことは一度もなかった。
これからは、多少なりとも俳句の読み方が変わってくるかもしれない。
Wednesday, August 01, 2012
グラウンドレベル
ロンドン五輪を全く見ていないので、本当は何かを書くのも憚られるのだけれど、思うところあって、女子サッカーの南アフリカ戦におけるドロー狙いのことを。
基本的に想像なので、事実に反することもあるかもしれないけれど。
一億総監督とはよく言ったもので、誰もが上からの視点で語っている気がする。
五輪はメダルが全てであり、当然の戦略だという人がいる。一方で、常に全力で臨むのが代表チームであり、意図的にドローを狙うのはフェアじゃないという人もいる。考え方は人それぞれで、正解がある訳でもない。ただ、大きくはこの2つに集約されるほぼ全ての言説が、サッカー女子日本代表チームの「あるべき姿」を「上から」、あるいは「論じる立場から」なされているように感じて、どうしても違和感を覚えてしまう。
こういう時、俺はいつもグラウンドレベルを想像する。自分自身は、残念ながら国際レベルでのぎりぎりの勝負を経験していないけれど、選手の側に立って、当事者として戦う人間の内面を想像することはできる。勿論それはあくまで想像で、正しくないかもしれない。でも、トップアスリート達の繰り広げる戦いに対して、そんな視点からの楽しみ方があってもいいんじゃないかと、常に思っている。
スターティングメンバーは、7人が入れ替わったそうだ。この7人も、4年間という時間の全てをこの一瞬のために捧げてきた人間だと思う。オリンピックでのボールタッチは、トータルでどのくらいの数になるのか分からないけれど、その1つひとつのボールタッチを最高のものにするために、4年間という時間を惜しみなく捧げることができるのがトップアスリートであり、五輪のピッチに立つ資格を掴み取るというのは、きっとそういうことなのだと思う。
ドローを狙って戦う。それは大局的に見れば、考えられる選択肢だったのだろう。そして、それがチームの方針であれば、メダル獲得という最大の目標のために、求められるベストを尽くす。まさしくプロフェッショナルの姿勢だと思う。
ただ、これは断言してもいい。7人の選手にとって、この90分というのは、ようやく「本物のピッチ」で、その機会を逃せばもう一度掴み取るチャンスは二度と来ないかもしれないような、そんな機会だったはずなんだ。彼女達だって、まさに人生そのものを懸けてロンドンに乗り込んだトップアスリートなのだから。
この90分間で、4年間の己を全て注ぎ込んだ最高のパスを。一寸の集中力の乱れもなく、完全に研ぎ澄まされた最高のシュートを。ボールタッチがない時にも、自分、そしてチームを最も輝かせる可能性を探して、最高の無駄走りを。
ピッチの上の選手達は、そう心に誓っていたはずだ。少なくとも俺は、それが選手の性だと思っている。相手が格下であるとか、既に決勝リーグ進出が決まっていたとか、そんなことは関係ない。自分自身が積み上げてきたものを、最高の形で表現したい。それができれば、その先には最高の結果が必ず待っているはずだ。そういう思いで戦いの舞台に臨むのは、自然なことじゃないか。
ただ、「ベストを尽くす」というのは必ずしも「邁進」でもなければ、「ガムシャラ」でもない。(大会全体を通じて)チームが置かれたポジション、相手との力関係、得失点差や累積カードといったバックデータを冷静に見つめた上で、その瞬間の「ベスト」というものを見極めることが必要になる。今回のポイントは、つまりそういうことなのだと、俺は思っている。
「ゲーム展開によっては、ドローでも」
この短いフレーズの意味するところは、実際にはかなり深いんじゃないか。
そのフレーズが監督にとって、そして選手にとって意味するところを、もっと丁寧に想像してみてもいいんじゃないか。更には、選手にとって意味することを知ってなお、選手達は大局のためにプロフェッショナルのプレーをしてくれると信じてメッセージを出した監督の思いを。そういう中で、ドローのゲームをマネージした選手達のことを。
正解なんてなくても。
基本的に想像なので、事実に反することもあるかもしれないけれど。
一億総監督とはよく言ったもので、誰もが上からの視点で語っている気がする。
五輪はメダルが全てであり、当然の戦略だという人がいる。一方で、常に全力で臨むのが代表チームであり、意図的にドローを狙うのはフェアじゃないという人もいる。考え方は人それぞれで、正解がある訳でもない。ただ、大きくはこの2つに集約されるほぼ全ての言説が、サッカー女子日本代表チームの「あるべき姿」を「上から」、あるいは「論じる立場から」なされているように感じて、どうしても違和感を覚えてしまう。
こういう時、俺はいつもグラウンドレベルを想像する。自分自身は、残念ながら国際レベルでのぎりぎりの勝負を経験していないけれど、選手の側に立って、当事者として戦う人間の内面を想像することはできる。勿論それはあくまで想像で、正しくないかもしれない。でも、トップアスリート達の繰り広げる戦いに対して、そんな視点からの楽しみ方があってもいいんじゃないかと、常に思っている。
スターティングメンバーは、7人が入れ替わったそうだ。この7人も、4年間という時間の全てをこの一瞬のために捧げてきた人間だと思う。オリンピックでのボールタッチは、トータルでどのくらいの数になるのか分からないけれど、その1つひとつのボールタッチを最高のものにするために、4年間という時間を惜しみなく捧げることができるのがトップアスリートであり、五輪のピッチに立つ資格を掴み取るというのは、きっとそういうことなのだと思う。
ドローを狙って戦う。それは大局的に見れば、考えられる選択肢だったのだろう。そして、それがチームの方針であれば、メダル獲得という最大の目標のために、求められるベストを尽くす。まさしくプロフェッショナルの姿勢だと思う。
ただ、これは断言してもいい。7人の選手にとって、この90分というのは、ようやく「本物のピッチ」で、その機会を逃せばもう一度掴み取るチャンスは二度と来ないかもしれないような、そんな機会だったはずなんだ。彼女達だって、まさに人生そのものを懸けてロンドンに乗り込んだトップアスリートなのだから。
この90分間で、4年間の己を全て注ぎ込んだ最高のパスを。一寸の集中力の乱れもなく、完全に研ぎ澄まされた最高のシュートを。ボールタッチがない時にも、自分、そしてチームを最も輝かせる可能性を探して、最高の無駄走りを。
ピッチの上の選手達は、そう心に誓っていたはずだ。少なくとも俺は、それが選手の性だと思っている。相手が格下であるとか、既に決勝リーグ進出が決まっていたとか、そんなことは関係ない。自分自身が積み上げてきたものを、最高の形で表現したい。それができれば、その先には最高の結果が必ず待っているはずだ。そういう思いで戦いの舞台に臨むのは、自然なことじゃないか。
ただ、「ベストを尽くす」というのは必ずしも「邁進」でもなければ、「ガムシャラ」でもない。(大会全体を通じて)チームが置かれたポジション、相手との力関係、得失点差や累積カードといったバックデータを冷静に見つめた上で、その瞬間の「ベスト」というものを見極めることが必要になる。今回のポイントは、つまりそういうことなのだと、俺は思っている。
「ゲーム展開によっては、ドローでも」
この短いフレーズの意味するところは、実際にはかなり深いんじゃないか。
そのフレーズが監督にとって、そして選手にとって意味するところを、もっと丁寧に想像してみてもいいんじゃないか。更には、選手にとって意味することを知ってなお、選手達は大局のためにプロフェッショナルのプレーをしてくれると信じてメッセージを出した監督の思いを。そういう中で、ドローのゲームをマネージした選手達のことを。
正解なんてなくても。
Tuesday, July 31, 2012
『成功はゴミ箱の中に』
- 作者: レイ・A. クロック、ロバート アンダーソン、undefined、ロバート アンダーソンのAmazon著者ページを見る、検索結果、著者セントラルはこちら、Ray Albert Kroc、Robert Anderson、野崎 稚恵、野地 秩嘉、孫 正義、柳井 正
- 出版社: プレジデント社 (2007/01)
- 発売日: 2007/01
こちらも先日読了。
マクドナルド創業者レイ・クロックの自伝だ。
これがまた面白い。名著以外の何者でもない。
孫正義、柳井正による対談・解説が添えられているが、日本を代表する起業家の2人が揃って感銘を受け、多大なる影響を受けたというのも頷ける。その圧倒的な行動力とリーダーシップ、ビジネスに対するあくなき挑戦の姿勢は凄まじい。
本書で紹介されている具体的なエピソードを幾つか紹介したいところだけれど、もう深夜になってしまったし、そもそも本書に貼った付箋の数が多すぎて選別するのも一苦労なので、ラストに綴られたレイ・クロックのメッセージだけでも引用しておきたい。
「やり遂げろ ― この世界で継続ほど価値のあるものはない。才能は違う ― 才能があっても失敗している人はたくさんいる。天才も違う ― 恵まれなかった天才はことわざになるほどこの世にいる。教育も違う ― 世界には教育を受けた落伍者があふれている。信念と継続だけが全能である。」
『読書の技法』
基本的に、読書法の類を読むよりも、読書した方がいい。
勉強法の本を読む時間があったら勉強すればいい、というのと同じだ。
ただ、読書の世界にも間違いなく別格がいる。そして、少なくとも松岡正剛と佐藤優の2人がまさに別格の存在であるということには、ほぼ異論がないだろうと思っている。そんな訳で、昨日偶然見つけた本書を読み通してみた。
結論。佐藤優はやはり知の巨人です。
もちろん、佐藤優の著作は本書以外にも多数あり、その知の深淵が如何なく発揮されている好著の数々を思えば、特筆すべきものではないのかもしれない。ただ、やはり本書で紹介されている佐藤優の「読み方」は凄い。綴られている内容は決して突飛なものではなく、多くの読書家が近しいことをしているようなものなのだけれど、その結果としての知的消化力・吸収力は、もはや別次元といった感じがする。
本には「簡単に読める本」、「そこそこ時間がかかる本」、「ものすごく時間がかかる本」の3種類があるという。その上で、佐藤優はこう言ってのける。
「標準的なビジネスパーソンの場合、(中略)「ものすごく時間がかかる本」がないという条件下で、熟読できる本の数は新書を含め1ヵ月に6~10冊程度だろう。つまり、最大月10冊を読んだとしても1年間で120冊、30年間で3600冊にすぎない。
3600冊というと大きな数のように見えるが、中学校の図書室でもそのくらいの蔵書がある。人間が一生の間に読むことができる本の数はたいしてないのである。この熟読する本をいかに絞り込むかということが読書術の要諦なのである。」
確かに、現時点の俺の実感に近い。多少余裕がある月だともう少し読めるけれど、月10冊は結構いい線だと思う。(ただし、ここがポイントなのだけれど、これは残念ながら佐藤優の言うところの「熟読」ではない。あくまで「精読」といった程度だ。この時点で、佐藤優はもはや追いつけない場所にいる。)でもそんなものは、中学校の図書館程度なのだと・・・。まだまだ、全然足りないのを痛感してしまう。
一方で驚いたこともある。佐藤優でさえ、熟読する本は月に4~5冊だというのだ。これは想像以上に少ないと感じた。ただし、彼は月平均100冊程度の献本は全て速読で全ページに目を通し、それに加えて新刊本を70~80冊、古本を120~130冊買い、これらも全て読んでいるそうだ。月300冊。その中から、本当に読むべきものを1%程度にまで絞り込んでいるということになる。一般人には、とても真似できない。
でも、それでも始められるところから、自分の読み方を作っていきたい。
俺自身は、基本的に自身の「読む力」を信用していない。スポーツでいえば、基礎練習をきちんと積まずに無手勝流で適当にやっている感じがする。これは読書歴が浅いことも大きいような気がする。(今でこそ自分でも信じられないが、高校を卒業するくらいまでは殆ど読書しない人間だったのだから・・・。)
そして、こういう達人(というか、もはや傑物)の読書スタイルを垣間見ると、自分には「量」が足りないということを痛感してしまう。それも、「精読」ではなくて「速読」、つまり「捌く読書」が決定的に足りていない。
さて、これからどこまで読めるかな。
まあでも、中学校の図書館くらいは越えていきたいところです。
Monday, July 23, 2012
『あなたの知らない愛知県の歴史』
最近は新書レーベルの乱立が凄まじいが、本書もそんな新興レーベルの1冊。
洋泉社の歴史新書。洋泉社HPを見ると、今年の1月から刊行されているようだ。本日現在、刊行は7点。今後の展開はどうだろうか。
(話は逸れるが、『下山事件』のレビューを書いて以来、「れきし」の漢字変換が「轢死」になってしまった。。今日をもって、この不吉な誤変換も卒業かなと。)
さて、愛知県。俺の生まれ育った場所。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という戦国の3傑を輩出した地。
世界のトヨタを擁する日本製造業の一大中心地。
実は寺院数が日本一(神社も3位)という、信心深い(?)ものたちの棲家。
そんな愛知県の歴史について、時代順にQ&A形式でまとめたのが本書だ。
今でこそ横浜在住だが、高校卒業までの18年間を豊橋で過ごし、就職後も、昨年末までの4年間は名古屋勤務だった身として、正直に告白しておきます。
地元のことなんて、実は殆ど知らなかったのだと。
熱田神宮に草薙剣が祀られた理由も、西尾のてんてこ祭りも、瀬戸窯を開いた藤四郎の伝説も、猿投神社に伝わる「棒の手」も、若き日の秀吉が矢作橋上で蜂須賀小六と出会ったというが、そもそも当時の矢作川には橋が架かっていなかったということも、木曾が尾張藩の飛地となった理由も、名古屋コーチンを生み出したのが廃藩置県で食い扶持に窮した藩士の海部荘平が始めた「武士の商法」(養鶏)だったということも、何もかも知らなかった。
特に戦国期を中心として、愛知県が生んだ偉人はなかなか多いので、愛知県に縁のない人が読んでも十分に楽しめる内容だ。ただ、やはりまずは愛知県民にオススメしておきたいところだ。愛すべき日本の中心を、今よりも親しみのあるものに。
Sunday, July 22, 2012
「奈良美智:君や僕にちょっと似ている」
久しぶりに美術館に行ってきた。
「奈良美智:君や僕にちょっと似ている」@横浜美術館。
http://www.nara2012-13.org/exhibition/
素直に、とても良かった。「あれ、マヒロちゃんに似てるよね」とか「いやいや、ハンナには全然似てないよ(笑)」とか言いながら、肩肘張らずに作品を楽しめて。
奈良美智さんの描くキャラクターは、どれもがかわいい訳ではないと思うのだけれど、確かにぐっと惹きつけるものがあるよね。ちょっとした崩れや小さな歪みなんかも、観る側をそわそわさせるものではなくて、ある種の愛嬌になっていて。
率直な感想として、デッサンやラフスケッチの展示はさほどでもないかなと思ってしまったところもあるけれど、完成されたアクリル画の数々は、やはり素晴らしかった。
会場もそんなに混んでいなくて、展示も十分な数があって、見応えのある展覧会だと思う。まあでも、本音を言ってしまうと、奈良美智さんのようなタイプのアートは、もっとくだけた愉しみ方でもいいような気はするかな。美術館って、皆が押し黙って作品を鑑賞して、感想を言葉にするにも声を潜めなければいけないような雰囲気があるけれど、もっと気楽に、格調を求めずに観ることができれば、より愉しいかもしれないなあと思ったりもする。「アタシの若い頃は、まあこんな感じよね」みたいな明るいジョークが会場に満ち溢れるような感じがいいよなあ、なんて。
ちなみに、常設展もざっと観たのだけれど、こちらもかなり良いです。
写真の展示も結構な数があるのだけれど、木村伊兵衛や土門拳の撮ったポートレート作品なんかはかなり楽しめます。上村松園、川合玉堂、中川一政、藤田嗣治といった凄い顔ぶれは、時代の迫力を感じさせてくれます。
「奈良美智:君や僕にちょっと似ている」@横浜美術館。
http://www.nara2012-13.org/exhibition/
素直に、とても良かった。「あれ、マヒロちゃんに似てるよね」とか「いやいや、ハンナには全然似てないよ(笑)」とか言いながら、肩肘張らずに作品を楽しめて。
奈良美智さんの描くキャラクターは、どれもがかわいい訳ではないと思うのだけれど、確かにぐっと惹きつけるものがあるよね。ちょっとした崩れや小さな歪みなんかも、観る側をそわそわさせるものではなくて、ある種の愛嬌になっていて。
率直な感想として、デッサンやラフスケッチの展示はさほどでもないかなと思ってしまったところもあるけれど、完成されたアクリル画の数々は、やはり素晴らしかった。
会場もそんなに混んでいなくて、展示も十分な数があって、見応えのある展覧会だと思う。まあでも、本音を言ってしまうと、奈良美智さんのようなタイプのアートは、もっとくだけた愉しみ方でもいいような気はするかな。美術館って、皆が押し黙って作品を鑑賞して、感想を言葉にするにも声を潜めなければいけないような雰囲気があるけれど、もっと気楽に、格調を求めずに観ることができれば、より愉しいかもしれないなあと思ったりもする。「アタシの若い頃は、まあこんな感じよね」みたいな明るいジョークが会場に満ち溢れるような感じがいいよなあ、なんて。
ちなみに、常設展もざっと観たのだけれど、こちらもかなり良いです。
写真の展示も結構な数があるのだけれど、木村伊兵衛や土門拳の撮ったポートレート作品なんかはかなり楽しめます。上村松園、川合玉堂、中川一政、藤田嗣治といった凄い顔ぶれは、時代の迫力を感じさせてくれます。
Saturday, July 21, 2012
『お待ちになって、元帥閣下』
昨日読了。
日本における女性報道写真家の第一号と言われる笹本恒子さんの自伝だ。
笹本さんに関する一切の事前知識なく読んだのだけれど、事前になんとなく予想していた展開とはかなり異なる内容だった。良くも悪くもこちらの期待を裏切ってくるところがあって、自伝としての評価は少々難しい。
ただ、これだけは書いておきたい。本書は、時系列に沿った6章の構成なのだけれど、実は最終章である6章が最も面白かった。これは、自伝としては非常に珍しいことなのかなと思う。通常、相応の社会的功績を成した人間達の自伝となれば、読む側の心を最も揺すぶるのは、溢れんばかりのエネルギーに満ちた全盛期、円熟期となるのが一般的だろう。それが人生のいつなのか、というのは当然ながら人それぞれではあるけれど、多いのは20代~40代、せいぜい50代までといったところではないだろうか。ところが本書の醍醐味は、少なくとも俺にとってはそこじゃない。6章の冒頭は、昭和60(1985)年の秋から始まる。1914年生まれの笹本さんは、当時71歳だ。そこから始まる6章が最も印象的だったのだから、本当に人生というのは奥深いものなのだと思わずにはいられない。今、97歳になってなお現役として生きる笹本さん。俺自身は、本書で綴られている以上には笹本さんの今の活動を知らないけれど、それでも十分に本書から伝わってくる。彼女のエネルギーは、衰えるどころか、むしろ新たな輝きを備えて、今も全身から放たれているのだろうと。
率直な感想として、彼女が女性報道写真家の第一号として世に出ることになるまでの一連を読んでいると、やや拍子抜けしてしまうところもある。カメラの扱い方など全く知らない状態で、手渡されたライカにフィルムを装填することさえ1人では出来ないような状態で、彼女のカメラマンとしてのキャリアはスタートする。「写真に人生の全てを賭けるつもりで、『人差し指も疲れたら動かなくなるんだ』って思うくらいに、シャッターを切り続けました」みたいな、ある種の悲壮感というのかな、そういった比較的想像しやすいストーリーなどは全くない。まあ、例えばの話だけれど。
報道写真家として最前線で活動をされていた頃のエピソードは、意外に淡々と綴られている。当時の社会において、女性の笹本さんがこれほど幅広く精力的に活動を展開されていたというのは凄いことで、その行動力には驚くばかりだけれど、本書を読んでいると、撮影にまつわる様々なエピソードが、ある意味では「なんてことのない」ものであるように書かれていて、その凄さを見過ごしてしまいそうになる。
きっとそれは、彼女にとって過去を誇ることが本意ではないからなのだろう。
97歳。今も現役。年齢は関係ない。
色々な経緯があって、写真家としては、そのキャリアの過程で20年近くもの時間を失っている笹本さんだからこそ、今なお、今に集中できるのかもしれない。
だからこそ、彼女の自伝は最終章が最も面白い。
そして、その事実こそが、本書を読んで何より素晴らしいと感じたことだった。
Friday, July 20, 2012
『スシロー 世界を握る』
横浜に引っ越してきて約5ヶ月。3歳になったハンナが週末に遊べる場所を色々と探しているのだけれど、たまに「アメイジングワールド」に連れていくことがある。ショッピングセンター「ルララこうほく」の4Fにあるアミューズメントパークで、雨の日なんかは結構助かる楽しい場所なのだけど、そのすぐ正面にあるのがスシローだ。
ただ実は、一度も入ったことがない。
理由は簡単で、いつも行列がものすごいからだ。
本書はそんなスシローの軌跡を辿った1冊だ。フードビズ編集部がキーマンとなる経営陣の何人かに対して行ったインタビューを軸として、スシローを外食産業のメインプレーヤーに押し上げた要因を、時系列に沿って追っていく。
これがなかなか面白い。現在、俺自身が勤めている会社とは業界構造も、企業規模も違うので、一概に比較はできないし、安易な比較をすべきでもないけれど、それでもやはり面白い。日常の業務とは違う観点で、ビジネスというものを考える良いきっかけの1つになるのは間違いない。
例えば、スシローの強みは何か。これに対する彼らの答えは、ただ一言。「すしです」。これほどシンプルで力強く言い切れるのは、単純に凄いと思う。彼らは100円寿司チェーンだけれど、「コスパです」みたいな卑屈なことは言わない。純粋に、お客様に出すものへのこだわりが徹底されている。これは、「うまい寿司をとにかく出して、お客様に喜んでもらいたい一心だった」という創業者の清水さんの思いが大きいのかもしれない。清水さんが大阪で始めた立ち寿司がスシローの原点で、当初からチェーン展開をベースにスタートした他社とは出自が異なることも影響しているのだろう。「うまいすしを、腹一杯。うまいすしで、心も一杯。」という魅力的な経営理念にも、スシローにかける思いが見えてくる。
回転寿司チェーンというのは、店舗投資が一般的に1億5千万円以上と高く、また原価率も40%以上はかけなければ勝負にならないそうだ。つまり、構造的に利益率を取れないため、売上高を稼ぐことで成立するモデルということだ。逆に言えば、売上が鈍化するとすぐに苦境に立たされる訳で、なかなかしんどいモデルだと思う。
それでも、軸はぶれない。「すし自体の魅力」という原点が明確なので、例えば売上を追いかけて値引きに走ることもなければ(一時期は90円セールを展開したこともあるそうだが、それは経営の過渡期における判断で、もうしないそうだ)、利益追求のために、品質を犠牲にしてまで原価率を下げることもない。ちなみに原価率は、50%前後を常にキープしているそうだ。
経営陣の構成も、非常に興味深い。
スシローは、2007年にユニゾン・キャピタルとの戦略的業務提携を結んで、ユニゾンから経営メンバーが派遣される。この時にスシローに出向でやってきたのが加藤さんという現専務で、このヒトがまた凄い。ドイチェ証券、ユニゾンと渡り歩いたエリート金融マンなのだけれど、スシローに経営者の1人として出向すると、「経営の中枢が外部の出向者というのは良くない」と考え、自ら転籍を申し出る。立ち寿司から始まったスシローの当時の社員構成を考えれば、潜在的にも顕在的にも、それなりの反発はあっただろうというのは想像に難くない。それでも加藤さんの本気は、時間の経過と共に組織へのポジティブ・フィードバックを巻き起こしていく。そして、加藤さん自身の人脈によって、多様なバックボーンを持った外部の優秀な人材が次々と集結してきて、結果としてスシローの経営は、外食産業に閉じた視点に留まらない、新たなエンジンを備えていくことになる。
このあたりの展開も、読んでいて非常に面白い。ビジネスモデルとか戦略論とか、経営手法とかを云々する以前に、「やはりヒトだよなあ」と思わずにはいられない。ちなみに加藤さんは、「端的に言って、外食業は人ビジネス、店長ビジネスだ」と語っている。小売の場合、顧客との接点はレジであり、実は店員がコンタクトする時には、既に顧客にとっての「商品価値」は決まってしまっている。しかし外食産業では、食材の調理、接客といった人間の行為そのものが、付加価値となっていく。そこが面白いのだという捉え方は、ある意味でとても新鮮だった。
一度、行ってみないとね。
食事のために並ぶのは嫌いなので、できれば混まない時間帯で。
Friday, July 13, 2012
『三日月とクロワッサン』
本日読了。
宇宙物理学者の須藤靖さんによるエッセイ集。
書店や図書館では科学図書のコーナーに収蔵されることも多いようだが、著者自身も書いている通り、全くもってジャンル選択ミスだ。平たく言ってしまえば、宇宙物理学者ゆえのウィットが存分に散りばめられた痛快エッセイといったところだ。
それにしても、まあ面白い。
本書を読んでみて何より思うのは、「どうでもいいことを、マジメに(笑)考え込んでみる」ことの愉しさだ。何かの目的のために、あるいは打算のために考えるのではなくて、ほんとにどうでもいいことを、とにかく考えてみる。これほど愉しいことはないよなあと、つくづく思ってしまう。
本書は、そんな話のオンパレードだ。幾つか例を挙げてみよう。「せんべい」と「おかき」の違いは何か。日本に滞在していたアメリカ人の特別研究員の見事な質問、「インターネットの接続速度が速くてサクサクと検索できた、とか使っている人がいますね。これは食べ物のサクサクと同じ意味ですか」(相当レベルが高い質問じゃないか。)人生の幸せを相対論的微積分方程式で表現できるか。クロワッサンとは三日月であり、三日月とは新月から三日目の月(向かって右側が輝いた状態)である以上、トルコの国旗に描かれた月(アルファベットの「C」の型)はデクロワッサンではないか。
そういうどうでもいいことをユーモラスかつマジメに考えて、かつ出版してしまう宇宙物理学者(東大大学院教授)。個人的には、とても好きな感じだったりする。
ちなみに俺も、ちょっと似たような趣味がある。どうでもいいことを考えて遊ぶクセというのかな。「もし人差し指の先で匂いを嗅ぐことができたならば、それは定義上、鼻なのか」とかね。まあ、さほど突き詰めないけど。
読んでいてとてもラクでありながら、とても知性的な営みにみちた1冊。
なかなかオススメです。
Thursday, July 12, 2012
『[完全版] 下山事件 最後の証言』
矢板玄。
戦後、東京都中央区室町のライカビルを本拠地に、貿易を生業とした「亜細亜産業」の総帥だった男。歴史の表舞台に出ることなく、戦後日本の激動の渦中を強かに渡り抜いた時代の証人。いや、むしろその人生こそが「時代」であったというような、本物の傑物。その矢板玄と、1人対峙する。
「貴様、何者だ」
次の瞬間、矢板は左手に握った日本刀を振り下ろし、眼前に坐る男の顔の前で止めた。
「もう一度、訊く。貴様、何者だ」
矢板と対峙していたのは、柴田哲孝。本書の著者であり、戦後史最大の謎とされる「下山事件」の真相に迫る宿命を負ったジャーナリスト。彼は、鬼の形相で威圧する矢板を前に、動くことができなかった。
しかし次の瞬間、本人でさえ信じられない言葉が口を衝く。
「いい刀ですね」
下山事件。昭和24年7月5日、突如として消息不明となった初代国鉄総裁の下山定則が、翌7月6日未明に常磐線の北千住~綾瀬間の線路上で轢死体となって発見された事件。当時の国鉄は10万人規模の人員整理の渦中にあり、下山は失踪前日の7月4日、第一次人員整理者約3万人の名簿を公表していた。労働組合との極限の交渉。労働左派の憤怒。GHQによる占領政策と反共工作。日本政府の政治的思惑。様々な時代背景が交錯する中、警視庁捜査一課は早々に自殺説に傾倒。捜査二課は他殺説の線で捜査を推し進めようとするが、昭和25年7月、警視庁は捜査官の大半を他署へ転出させる。この瞬間、下山事件はその真相が解明されることなく、事実上迷宮入りすることになった。
下山事件が起きた当時の戦後日本史には、様々な伏流がある。その1つが、当時の日本を形成したといっても過言ではない人間達が頻繁に訪れたサロン的側面を持つ貿易会社、亜細亜産業。本書は、その亜細亜産業で重要な任務を果たした人間を祖父に持つ著者が、下山事件の全貌を追った迫真のノンフィクションだ。
断言してもいい。間違いなく面白い。
勿論、下山事件の「事件性」もある。本書は他殺説に拠っているが、事実として、今なおその真相は明らかになっていない。幾多の謀略、プロパガンダを丁寧に読み解きながら、小さな矛盾と大きな潮流の狭間で揺れ動く推理の過程は、まさしく「小説より奇なり」と言っていい。
でも、本書の魅力はそれだけではない。
尊敬する祖父、柴田宏は事件に関与していたのか。著者の純粋な出発点はそれだった。しかし著者が本書の筆を置いた時、そこに描かれていたのは、著者の当初の意図を凌駕する壮大なものだった。
それはつまり、日本国そのもの。戦後日本の源流だ。吉田茂。佐藤栄作。白洲次郎。三浦儀一。児玉誉士夫。田中清玄。沢田美喜。ウィロビー。キャノン。シャグノン。そして勿論、矢板玄。そういう傑物達の生きた時代が、錯綜し複雑に織り成された時代の糸が、本書には綴られている。
それを可能にしたのは、「いい刀ですね」と言ってのけた著者の胆力だ。
素晴らしい1冊です。
Saturday, July 07, 2012
『金融の本領』
さて、遅くなってしまったけれど先日読了。
さわかみ投信会長の澤上篤人さんの新著だ。前半はインタビュー形式、後半は澤上さん自身による著述となっている。一般的に、対談形式だと中身は薄くなりがちだけれど、澤上さんの人間性が垣間見えて、なかなか興味深いものになっている。
まず、本書は「帯」がいい。
居酒屋で、1人ビールの注がれたグラスを傾ける。レトロな店内の壁に貼られた「ホッピー」の文字。ちょっとオレンジがかった写真の色調も抜群だ。澤上篤人という名前から想像される雰囲気とのギャップもあって、思わず手に取ってしまう。
澤上さんといえば、長期投資。10年先を読み、時代や社会の大きなトレンドを見極めながら、大胆かつ緻密に投資を行っていくスタイルが有名だ。本書の中で幾つかの具体例が引かれているが、澤上さんが拠って立つ基本的な戦略、あるいは思考の組み立て方といったものが非常によく分かる。
例えば、かつて鉄鋼会社が斜陽産業と言われていた頃に、澤上さんは鉄鋼株を大量購入したそうだ。鉄鋼業界は最高度の資本集約産業であり、キーとなるのは資本力と技術力だ。日本企業は、資本力はともかく圧倒的な技術力を持っている。それでも韓国勢、中国勢に負けるのは、間接部門に余計な人件費をかけすぎていたからだ。鉄は人々の生活に必須の素材であり、10年後も間違いなく必須であり続けるのだから、日本企業がムダのカットに向かい始めれば、必ずその技術力が生きる時が来る。その時こそ応援した方がいい。いや、応援させてもらいたい。そういった判断をして、鉄鋼メーカーの経営の舵が切り替わってきたと感じた頃を見計らって大胆に投資する。こういう思考こそが長期投資の基本なのだと。
あるいは、自動車株に対する投資判断も興味深い。最近の日本では「若者のクルマ離れ」が進んでいるというが、人類がクルマを手放すことはないだろう。そうやって世界を見渡すと、例えば現在のアメリカでは、約2億7,000万台の車が走っているそうだ。国土の広いアメリカでは、車がなければ暮らせない。彼らは日本のサンデードライバーとは異なり、毎日運転しているのだから、車の買い替えは生活の一部だ。車の耐用年数を長くみて15~16年とすると、本来は年間1,700万台くらいの買い替え需要があっていいはずだ。にもかかわらず、サブプライム危機以降のここ4年ほどは、新車販売台数が1,200万台程度に落ち込んでいる。とすると、この4年近く我慢してきたアメリカ人の買い替えニーズはどこかで戻ってくるだろう。本来の1,700万台レベルに戻ったとすれば、その時は前年比40%近い伸びになってくる、ということになる。そういった推論を積み上げて、株価低迷期に自動車株を買い仕込んでおく。実際には、もっと精緻に評価しているだろうと思うけれど、ファンダメンタル分析やテクニカル分析のような、ある種のどうでもいいスタンスとは明確に一線を画していることが、十分に理解できる。そしてそのスタンスは、基本的にとても好感の持てるものだ、というのが俺の素直な思いだ。
そういえば、CIAのような諜報機関においても、利用する情報の90%以上は公開情報だという話を、どこかで聞いたことがある。(佐藤優の著作だったかも。)
結局、命運を分けるのは「情報をいかに使うか」ということなのだと思う。誰もが手の届くところにある情報に、大きな視点からのフレーバーを与えて、多少大袈裟に言えば、自らの「世界観」を作り上げていく。そのプロセスこそが、きっと重要なんだ。
良い本です。「金融の本領」、それは利益の最大化ではないのだという矜持が、肌感覚を持って伝わってきます。
Sunday, July 01, 2012
『武器としての交渉思考』
瀧本哲史さんといえば、言わずと知れた時の人。もはやその著者名だけで「あ、釣られましたか」という視線を感じてしまうような存在になってきている。
その瀧本さんの新著。『僕は君たちに武器を配りたい』、『武器としての決断思考』に続く<武器>シリーズの3作目として刊行されたのは、交渉というものの考え方と基礎的なスキルを非常に分かりやすくまとめた1冊だ。
まず、最初に思ったこと。
本書は若手営業研修の基礎テキストとして良いかもしれない。
理由はシンプルで、瀧本さんの文章には「読ませる」ものがあるからだ。
交渉の基礎として紹介されているコンテンツには、誤解を恐れずに書いてしまうと、特別目新しいものがある訳ではない。入社当時に配布された『ハーバード流交渉術』(知的生きかた文庫)の焼き直しに近い部分もある。ミカンの実と皮を分け合うエピソードなんかは、こちらがオリジナルだろう。BATNA(バトナ)やアンカリングといった交渉の基本概念も、どちらかというと教科書的なものというのかな、要するに「基本中の基本」といったところだ。これは、瀧本さんの問題ではなくて、おそらく「交渉」という世界における基本には、さほどバリエーションがない、ということなのかもしれない。より戦術的なレベルでは、もう様々あるのだろうけれど。
ただ、それでもいい。やっぱり営業研修に最適かもしれない。
交渉力というものを考えた時に、BATNA(バトナ)を「知っている」だけでは意味がなく、その考え方を受け入れて、きちんと消化できていることの方が大切だ。そう考えた時に、瀧本さんのテキストは、たぶん(特に)若手にハマる。『ハーバード流交渉術』を読んでも、「ミカンの皮と実って、まあそんなケースないよね」と冷めてしまうような人に対しても、読ませるものがあると思うんだ。
様々なレイヤーで、日常的に行われている「交渉」という営みを、視野狭窄に陥ることなく、それでいて本質を分かりやすく整理して、かつ読者の心に沁みるように書く、というのはそう簡単なことじゃない。交渉のプロを自認する人達でさえ、自らの営みをこれほど伝わりやすい形で言語化できる人は極めて少ないだろう。
ちなみに、もうひとつ思ったことを。
本書の内容は、まさに俺の日常です。俺の仕事そのものと言っていい。
俺がすべきことで、かつ十分に出来ていないことが綴られています。
基本を読み返して得るものがない日なんて、きっと来ないんだよね。
10年間も営業してるのに、今でもロクに出来ないんだから(苦笑)。
『勉強上手』
勉強本は、いい加減もう卒業でいいかなと思っている。
最近はビジネスパーソンの間でも勉強ブームで、書店のビジネス書コーナーには、もう辟易してしまうくらいに勉強本が乱立しているのだけれど、勉強本を読む時間を利用して勉強した方がいい。それに、そもそも「勉強」という言葉そのものが、ビジネスパーソンの日常と感覚的にあまりマッチしないよなあと思っていた。
そうしたら、本書に全く同じことが書いてあった。
ちなみに本書を購入したのは、勉強本を探していたからではなくて、ただ成毛眞さんの著作は原則として購入している、というだけだ。成毛眞さんはご存知の通り、マイクロソフト日本法人の元社長で、幾つかの著作が刊行されているのだけれど、基本的にどれも痛快で面白い。肩肘張って読むタイプの本ではなくて、どちらかというと娯楽として読む類のものを書かれている。
本書の中で、幾つかの勉強本が紹介されているのだけれど、それぞれに対する成毛さんの評価がまた秀逸だ。本田直之『レバレッジ勉強法』に対しては、「成功者はこんな勉強法は絶対にしない」と断言している。そりゃそうだ。俺は成功者でも何でもないけれど、それでもきっと成毛さんの言う通りだろうと思う。ビジネス書をこつこつ読んで、通信教育に通って資格を取って世界を変えた大物なんて、聞いたこともない。小山龍介『STUDY HUCKS!』に対しては、「この本で紹介している方法をすべて試したら、コストはハンパない」といって、ネタとして愉しんでいる。iPod、ノイズキャンセリング機能付ヘッドホン、ICレコーダー、モバイルパソコン、モレスキン、はさみとのり、100円ノートというのが「最強の7つ道具」なのだそうだ。その他、本書では、「勉強にきくハーブティー」、「黄色いものを周りに置く」、「お経を聞いて集中する」などといったTipsまで紹介されているらしいので、ある意味興味深いのは間違いない。
本題から逸れてしまったが、成毛さんの主張は(一見すると)非常に尖ったものなので(個人的には至極真っ当なものだと思うけれど)、馴染まない人も少なくないような気はする。ただ、この程度のスタンスで、肩肘張らずに「勉強」したいものです。そして当面は、色々と片っ端から「本を読む」でいいかなと。
Friday, June 01, 2012
受け入れるということ
4人家族になってちょうど1ヶ月。
育児の負担がどうしてもパートナーに寄ってしまって、肉体的にも精神的にも、ちょっとしんどい時期なのだけれど、なかなか力になれない今日この頃。
悩みも多くて苦しんでいるので、心を楽にしてあげられる本がないかなあと探していたら、検索で引っかかったのがこの本だった。涙を流して読んだという母親の感想をネットで読んで、母親を責めないスタンスで書かれているというのがいいかなと思って、先日買っておいた。
そんな本を読んでみて、思ったこと。
要するに、これを読んだ方がいいのは俺の方だった。
当事者として子供と接するのと、その姿を外から眺めているのでは、見える景色も感じ方も全く違ってくる。基本的に俺は、子供を叱らないようにしている(つもりな)のだけれど、週末の日曜日にハンナを連れて動物園に行って、いきなり最初の象で30分も動かなくて、「次に行こうよ」と言っても「イヤ、次は行かない」なんてことになると、疲れてきてちょっとイライラして。子供みたいにすっと気持ちの切り替えができないと、表情が硬いままになってしまったりもして。でも、これが他人の子供だったならば、きっと気楽に「いいよー」とか言って、ベンチでも探して寝転がっていられると思う。(実際、幼稚園のイベントなんかで、他所の子を遊ばせるのは相当気楽でかなり楽しい。)でも、当事者には当事者のしんどさと、悩みがあって。
子供を厳しく叱りつける親がいたとする。
「そんなふうに叱り飛ばしては、子供がかわいそうだ」とか、「もっと愛情をもって子供と接してあげるべきだ」とか言う前に、そうならざるを得なかった母親の背景を、まず受け入れてあげることが大切だ。「悩みながら、肉体的にも辛い中、今日まで日々お子さんを育ててくださったんですね」と、まずは今という瞬間まで育児を担ってきた女性への感謝からスタートしたらいい、と著者は言う。
そういうメッセージをもらっただけで、この本を読んだ意味があったかな。
否定せず、受け入れるということを教えてくれた訳だから。
Friday, May 25, 2012
『(日本人)』
昨日読了。面白かった。
橘玲というとやはり『マネーロンダリング』の印象が強く、「金融を語ってナンボの作家」といった辛口評価も多いようだけれど、俺は良い本だと思う。
論旨をざっとまとめると、以下のポイントに集約される。
・日本人は、日本人論を語る時に「日本人の特殊性」を前提にしているが、そこで語られる特徴の大半は、アジア圏で広く見られるものだ。また、例えば和を重んじる文化などは農耕社会における必然であり、日本の特殊性とは言えない。
・日本社会は「空気(世間=ムラ社会)」と「水(世俗性)」で構成されるが、日本人を世界の中で決定的に特徴づけるのは、「空気」ではなく「水」の方だ。実際、日本人は世界的に見ても極めて個人主義的で、世俗的だ。(世俗的とはつまり、損得勘定でモノを考えるということだ。)
・日本における「イエ」の束縛とは、それがなければ共同体としての一体感を維持できないほどに、日本が個人主義的な無縁社会だからだ。
・グローバル社会におけるデファクトはグローバル・スタンダードであり、グローバル空間においては、ローカルルールはグローバル・スタンダードに対抗できない。
・グローバル・スタンダードとはリベラル・デモクラシーであり、それはつまり自由と平等に絶対の正義を求める思想だ。(ただし、それぞれの重みづけに応じて複数の立場が存在する。)
・日本人、日本社会は今、周辺からグローバル・スタンダードの浸食を受けている。中央からではなく、周辺から徐々に浸食されているのは、本質的にローカルなイエ社会であり、グローバル・スタンダードの本質に沿った統治が(国家・企業といったあらゆるレイヤーにおいて)中央に浸透していないからだ。これが、今の日本の閉塞感へと繋がっている。
取り扱われているトピックがやや広すぎて、思索の全体像を追いかけづらい嫌いもあるけれど、「一般的な印象として」語られる日本というものを一旦措いて、改めて日本人、日本社会を見つめ直してみる上で、なかなか新鮮な導きを与えてくれる1冊になっている。また、グローバル社会というものシンプルに分かりやすく整理する、という点でも悪くないと思う。やや正確性に欠けるとしても。
本書の場合、その結論は重要じゃない。
過程こそが重要な1冊だと思います。
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